2012年07月28日

自分がシフトすると、解釈が変わる

自分がシフトすると、過去の解釈が変わる。
例えば、「今日は気分が悪いな」と今、思ったとする。
起きてくる現実は、その気分が良くないことに連動してくる。

自分は気分がよくない。
友人とは話が合わない。
居心地が悪い。
周りの環境から、何も感じられない。
疲れる。
寝る。

こんな流れだとする。

最初の気分が良くない・・・を「気分が良い」ことに変えてみる。
なぜか、それは、自分の感じた世界が現実になるからだ。

まず、「気分が良いとしたら」に変えてみる。
そして、友人とは話が合わないとか、居心地が悪いとか、そんなことは無視する。
無視というのは言葉が悪いので、そんなことには「自分は動じない」とする。
そんなことには影響されずに「私は気分が良い」とする。

そうすると、
周りの環境が変わってくるので、
感じるものが変化してくる。
どうも、先程感じていたものとは違った、心地よいことが思い出されてくる。
先程フォーカスしていた、「友人とは話が合わない」のが、「友人との絆」についての話題に変わる。
絆って何だろうって考えると、とても心地よいものが出てくる。
信頼とか、絆とか、連帯感とか、愛情とか、・・・。
そうすると、今日一日感じていたことの全てが良い気分として感じられるようになる。

よく、ネガティブをポジティブに変換するって言いますが、
細部のひとつひとつをネガティブからポジティブに変えるんじゃなくて、
中心を変える。
私はどうしたかったのか、どう感じたかったのかを中心にちょっと変えてみる。

「気分がよくない」を「気分がよかったら」、「気分がいい」みたいに。
そうすると、不思議なことに、周りが自然に変化してくる。
水の中に石を投げると波紋が広がるように、すべてがその「気分が良い」に影響されてくる。

良い例が、「気分の良い日」は、何を言われても怒らないってことです。
「気分が悪い日」は、ちょっともことでもむかつく。

これが、たぶん、「シフト」だと思うのです。
多次元の世界の中から、自分が居たいと思う世界を「選ぶ」という行為。

まず、「こうなりたいな」と思うことにフォーカスして、「そうなった自分を想像する」。
きっかけは、「こうはなりたくなかった」という現実です。
そのままでは、そのままの「こうなりたくなかった世界」が現実として連鎖反応して出てきます。
でも、その現実が起こった後でも、その現実は変えられます。
私は試しにやってみました。
そうしたら、すべての解釈が変わって、別の現実になりました。
すべてが気分のいい世界に変わったのです。

ちょっとしたコツです。

自分の中心を変えるんです。
水の中に投げた自分の石(中心)を変える。
そうすると、その波紋が広がる。
それが現実として自分が感じるんですね。
世界は中立だということがわかります。
ただ、自分が変わっただけなんですね。


本当にコツをつかむと、変わります。
難しくなかった。

これが、
「自分が変われば、世界が変わる」ということかもしれません。

別次元にシフトするとか、そんな難しいことじゃなくて、結果としてそうなるってだけです。

超ひも理論みたいに「多次元」の世界があるような感じです。
その多次元の中から、「自分が感じたい世界に自分がなる」ってことが先みたいです。
自分が発生点です。
「気分がいい世界」にいたいのなら、「始めに自分の気分を良くする」ことが先。
中心から広がるんです。

起こっている現実は変わりませんが、自分の感じ方が変わるので、世界が変わったように見えます。
その連鎖ですね。
ポジティブ思考ともまた違うような気がします。

難しく考えないで、やってみると案外簡単なものです。

ただし、エゴの観点からやるとダメみたいです。
そこがコツですかね。

過去は変わったように見えますが、解釈が変わったという方がしっくりきます。
過去も今自分が感じているのだから、「過去の出来事を今思い出している」のだから、「今」なわけです。
だから、今、自分を変えれば、過去の出来事の感じ方が変わります。

そんな、面白い体験をしました。

面白いと思ったら、やってみてください。
posted by zone88 at 03:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月20日

恐怖とか不安とか。

潜在意識の中に「恐怖」とか「不安」とかがあると、たぶんそれが時々出てくるんだろうと思う。
それに「打ち勝つ」のだろうか?
それとも、「その元を無くす」のだろうか?
それとも、「恐怖」とか「不安」の意味を書き換えるのだろうか?
それとも・・・・。

生存に関係することで、「身体を守る」ために「恐怖」や「不安」を感じる、察知するってことはあると思う。
でも、ほとんどは、未来の事柄に関することじゃないだろうか。
それは、「今にフォーカス」すれば無くなるかもしれないけれど。
でも、それって、よく言われていることだ。

じゃあ、「恐怖」や「不安」ってなくなってるの?
嫉妬とか、憎しみとか、悲しみとか、いろいろなネガティブって呼ばれるものが、「今にフォーカス」することで無くなる?

大体は、後で気付く。
「ああ、やっぱり言葉だけだった」って。
事前に準備できるものでもないし。

最近の私の傾向としては、
夢中になれるものにフォーカスするってことです。
そうすると、ネガティブなことを「考えている暇がなくなる」(笑)
「今」生きることに必死で、明日のことなん考えてらんない・・・とか。
「今」のことでいっぱいいっぱいで、昔のことなんか考えてる暇がない・・・とか。

何か、
貧乏人のようですが・・・。(笑)

そんな感じで、「体育界系」のように、運動するように「今」やることに集中していると、
意外と「恐怖」とか「不安」とか、ネガ的なものは感じないようになってくる。
それらしきものが見えても、「チャレンジ」とか「気付き」に見えてくるのかもしれない。

頭で考えないで、身体で覚える・・・みたいですね。
「考えるな、感じろ」  どっかの映画の言葉ですねえ。(笑)

でも、何に集中するか・・・です。
たぶん、「人の為になることや、自分以外のことに集中しているとき」、
大きな何かにチャレンジしているとき、
言われたことではなくて、自発的に始めたことをやっているとき・・・など。

ちょっとの違いだと思う。
本当にちょっとの違い。
それで、かなり違う。
たぶん、コツがある。
それは、体感だ。

体育界系で行こう!
こんな感じで、最近は日常が飛ぶように過ぎていきます。

posted by zone88 at 19:47| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

自在な自分とカルマや因縁

自分の世界は自分が創造している、ということを自己啓発とか、スピリチュアル系では、よく言います。

今日、親類に会い、親類縁者の話をしたのですが、様々な人生模様がありました。
基本的には生まれて育ち、教育を受け、結婚し、子供が産まれ、家族が増え、仕事もリタイヤし、第二の人生を始め、病気なんかも経験し、老齢となり、死をむかえる。

当たり前の人生だけれども、その中で何故このような人生を送っているのかと、人は考えるだろう。

何故?だ。

何の為に、この経験をしているのだろうか?と。

はじめは受身。
次は被害者、犠牲者。
次は責任転嫁。
次は外に原因を捜す。
次はカルマや因縁などを考える。
次に自己を見つめる。

そんなところだろうか。

人は人を救えるだろうか。
それとも、自分は自分しか救えないのだろうか。

自分は自分の内側しか変えることが出来ない。
しかし、自分の内側を変えようとする行為は難儀だ。
無理に変えることが出来ないからだ。
不自然だし、すぐにもとに戻る。

カルマや因縁に縛られている世界を抜け出すにはどうすればいいのか。
それは、自分の世界は自分が創造しているという実感を得ることからはじまるかもしれない。
実感が得られたとき、初めて自由の感覚を味わい、自分が一人ではないことを知るのだろう。
もうひとりの自分ということだ。

この状態では、自由の感覚を知った状態では、もはやカルマや因縁に縛られてはいないだろう。
自由の感覚。それも時空を超えた自由の感覚になれたら、私に関わるすべてが変化するからだ。


私たちの肉体とは何なのか?
私たちの精神とは何なのか?
私とは何なのか?


家族、親類、縁者といえども、同じカルマや因縁がある訳ではないだろう。
いろんな人生模様を見て、あらためて自由であることの意味を考えさせられた。

いろんな出来事も、後から考えれば、方向性があることが見えてくる。
その方向性は、エゴである私は知らない場合が多い。
気付く時点というものがあるらしい。

ジャストのタイミングで、それはやってくる。

誰しもが、自分の世界は自分が創造しているのだと思った。

真にそれを思い出し、
真にそれを実感し、
私というものの真実の姿を思い出したなら、
きっと何か大切な何かを思い出すだろう。
posted by zone88 at 00:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

夢の内容が・・・・変!?

今朝の夢は、自転車に乗って目的地まで空を飛んでいたら、用水池に落っこちました。
そして、用水池の周りは家だらけだったので、ある家にたどり着きました。
結構深い用水池だったので、ちょっと恐怖でした。

服はずぶぬれ。
でも、なぜかセーラー服を持っていました。
それに着替えた覚えは・・・・夢の中ではありません。

水の中の夢って結構見ます。
泳いでいるんです。
溺れているわけではありません。

池だったり、プールだったり、海だったり、・・・・。
今回は用水池でした。
それも、空から落っこちて・・・。
訳がわかりません。


昨日は、姪の子供(男の子)を抱っこしていました。
本当は小学生なのに、その子は赤ちゃんに戻っていました。
そして、どこかへ旅行するみたいな感じの夢でした。

おとといも旅立つ夢。
以前勤務していた会社を辞める夢でした。
宗教関係のところだったので、たぶん、まだ私の中では所属していたんでしょう。
そこを辞めました。
退職するって感じでした。


共通しているのは、旅立ちです。
どこかへ行こうとしている。
でも、先がまだはっきりとは見えていません。
それに、空から落っこちたりします。
たぶん、一気に目的地に行こうとして、落とされたんだと思います。
地道にいかなきゃならないみたいです。

少し恐怖感のある夢も見たのですが、忘れました。
久々に恐怖を味わったので、夜中に起きて、電気はつけっぱなしにして再びベッドに入ったのですから。
よっぽど怖かった・・・・・・はずなのに、すっかり内容は忘れています。

それに、最近、朝はすっきりと目が覚めていたのに、
ここ何日かは、すっきりと目が覚めても、体が異様にだるい。
顔が浮腫んでいたり・・・。
夜、夢の中で何が起こっているのか????

覚えていないけれど、相当、大きな、何かに遭遇しているんだろうなと感じます。
でも、内容はわかりません。
ただ、旅立ちなのがわかるだけです。

普通の夢分析とかはあてはまらないかもしれません。
ただ、私の直感を信じるだけです。
その方が私にとってはいいことだから。

思い出しました。
恐怖だったのは、先日の夢。
神殿の夢、白黒争奪戦の夢でした。
話をするカラス登場の前後です。


とりとめのない夢日記でした。
誰の参考にもならないかもしれませんが、私に起こった出来事としての記録です。
後で意味を発見する場合がありますので。
過去の記録も、自分で書いたとは思えない内容が結構多いですから。
じゃあ、誰が書いているんだ?
誰なんだろう。

別の、
Zone88って部屋に居る私です。
たぶん。

おもしろい。
posted by zone88 at 21:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

体験すること

どんなに素晴らしい説があっても、
どんなにすごいなあと思う話であっても、
それを体験できなければ、本当に素晴らしいとは思えない。

それは、他人の話であり、
他人の世界だからだ。

共感することや共鳴することは素晴らしいと思うけれど、
それは自分の中に同じようなものがあるから起こる現象だと思う。
ある程度の下地というか体験がなければ、共感も起こらない。


自分に誠実でいよう。
自分に正直でいよう。
自分に素直でいよう。
自分に・・・・

この自分ですが、
今のところ、自我というかエゴというかそういうものとか、
いろんなものが入り混じったもののような気がしている。
でも、私は私だ。
意地をはるわけではなく、
ありのままと言えば聞こえはいいのですが、
そのままの「私」にしかなれない。

ある程度、素の自分というか、
純粋な部分、(誰でも持っていると思うけれど)それを少し拡大させると、
「ああ、これが自分なのかなあ」と思うことがある。

外部から、後から、(後天的に)くっつけられたものは、
あまり気分がよくないものなんかもある。

居心地が良い場所とか、
気分が良い場所とか、人とか、

素の自分。

あんまり、
「愛」とか「光」とか、強調しなくてもいいのかもって思う。
「闇」とか、「恐れ」なんてのも、指摘すればそのようになるだけだと思うし。

なんでしょうね、
無理は良くないかなって思う。
背伸びですね。
気分がよくないから。

卑下ではなく。

ありのままで結局はいいのかもしれないです。
しかし、
本来のありのままの姿の私ってどんなだろう?って思う。

それを、毎日少しずつ感じているのかもしれない。
どれが私なのか。
どれも私なのか。

どんな体験も、私は素晴らしいと思う。
体験できないことが本当は嫌なんじゃないのかなとも思う。
体験、体感、実感。

何のための体験か?なんですが、

人それぞれそれは違うかもしれないし、
観点や視野の広さなどでも違うかもしれない。

でも、
どんなときも、
「私以上の私は私ではないから」、私は
誠実でいようと思う。

知らないこと、体験したことのないこと、わからないこと、
そんなことは素直に聞く。

素直になること。
それは何の為?

やっぱり、「私」は「素の私」言葉を変えれば本当に私になりたいからなんだろうと思う。
もっと世界を感じたいとか、もっと宇宙を感じたいとか。
人が皆もっている素朴なこと。

何でもっと世界を感じたいの?
何でもっと宇宙を感じたいのか?

それは、人間だから・・・・でしょうか。

ちょと、最近、使命感にかられて変な力が変な方向に行きそうなので、
セーブ気味です。
力の恐ろしさ・・・ですか。
意外とすごいパワーがあるのかも・・・なんてことを感じるので。
セーブしている自分を感じます。

何でだろう。
それは、ただセーブしたほうがいいのではないかと思うからだ。
精一杯走らない。

それも体験、これも体験。
posted by zone88 at 19:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

白と黒

先月から「白」と「黒」に関することが私の周囲で起こっている。

ひつとは団体。
もうひとつは夢。

団体といっても、人に関ることなのですが、
面白いことにそれは、衣装に関係しています。
その人々の身に着けている衣装が「白」と「黒」を象徴しているんです。

そして、それぞれの団体では、白と黒はどちらも聖なる色というのか、
そのような意味を持たせています。
意味がそれぞれ、まったく反対なんです。

私は先月「黒」に興味をもち、少し関係し、
今は「白」に興味を持ち、少し関係しています。
それは、ただ外から眺めたり、評価したりするだけでは、本当の意味で知ることはできないからです。


今日、『神智学大要』という本のはじめのあたりを読んでいたら、
眠くなりました。
何度読んでも眠くなり、
ウトウトと転寝してしまいました。

そして、夢を見ました。

人が沢山あつまっている場所があり、私はそこで話を聞いていました。
そして、何やらいろんなものをもらったりしました。

疑問に思うことがあり、紙に書いたものをある人(たぶん文化人類学者)に聞きにいこうとしていました。
そうして、一旦家に戻ると、そこは先程の場所でした。
そこは、神殿。
「え?私の家が神殿?」
たしかに、家の奥には神輿が置いてあって、その上には幕がかかっていたので、
まさかその奥が神殿になっているなんて思ってもみませんでした。
ものすごく奥行きがあったのです。
その神殿で私がある人に質問しようとしていると、・・・・。

場面が突然変わって、
私は家の中でお風呂に入っていました。
そうしたら、部屋のドアを開ける音がします。
そして、鍵は無理やり壊される勢いで、何人かの男性が入ってきました。
「あなたは、何かにサインをしましたか?」みたいなことを言う。

見てみると、私は何枚かの紙にサインをしていました。
しかし、無効になるものもあったらしい。
寸でのところで、その何か得体のしれないものに引き込まれそうになっていたのでした。
それも、私の家の中で。

家の外は神殿の表玄関のようになっていて、初めてその石垣みたいなところに降りてみました。
以前、その図面めいたものは目にしていたはずで、
以前、たぶんかなり前の世にそこを歩いたりしていたことの記憶だけがありました。
名前は忘れました。

しかし、その神殿はのっとられそうな勢いでした。
しかし、神殿に仕える人々は中立でした。
どちらにも仕えるし、どちらからも攻められない。
争奪戦になっているのは、「私自身」のようでした。

前者はたぶん「黒」、後者はたぶん「白」。
私は白のある人に、「助けてくれてありがとう」と言いました。
そうしたら、その人は「以前私は魚屋さんだったんです」と言った。

もうひとりに、どこの出身で、何に属しているのかと聞いたのですが、
答えはありませんでした。
ただ、その人は写真を私に渡してくれました。
その人自身の写真です。
若い男性でした。



そして、目が覚めました。

最近、白と黒がわかれています。
私の周囲だけですけれども。

「黒」で極まったのが、先月初旬。
そして、極まった後に「白」が出てきました。

「黒」を離れたのは、そこに属する人と話をしたことによります。
声の雰囲気が苦手だったからです。
たったそれだけです。


今晩、平清盛(NHK)を見ていたら、
平氏は「黒」の衣装、源氏は「白」の衣装を身に着けていました。
源義朝は「肉体は滅びても、源氏の魂は滅びぬ」と言ったのが印象的でした。


しかし、
白と黒という対象は、見ようと思えばいくらでも出てくるもので、
しかも、白から見れば黒は敵に見え、
黒から見れば白は敵に見えるという、
永遠の宿敵みたいな感じにもなる。

私にもわからない。
実際、白と黒の象徴されるものがどんな意味を持つのかを。

光は分光する。
光は白に象徴される。

色、たぶんこれは物質的に捉えられた色であろうけれど、
加色法というものでは、
色は混ざれば混ざる程、濁り、色は黒に近くなり、しまいには「黒」になる。

同じ色を集めても、
その元が光線であるのか、物質であるのかによって、
「白」になり、「黒」になる。


私にはわからないが、
例えば白い紙に白い文字を書いても見えないけれど、
黒い文字であれば見える。

黒い紙には白い文字でないと見えない。

すべて白になることがいいのか、
すべて黒になるのがいいのか、
わからない。


ただ、夢では、
争奪戦になっていたのは確かだった。
だって、私の身はひとつだから。
身を引き裂くことはできなかった。
posted by zone88 at 21:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

話をするカラス

きのう、不思議なことがありました。

今、外でカラスが鳴いているので思い出したのですが、
昨日、外を歩いていたら、電線にカラスがとまっていました。
ここまでは、普通です。

でも、鳴き方が変でした。
何かを話している鳴き方なんです。
もはやここまでくると鳴いているという感じではなくて、
何かを話しているという感じでした。
そんなことに気をとめるのは私くらいしかいなくて、
「誰か気がついている?」と思ってあたりを見ても自転車に乗って猛スピードで人が通り過ぎただけでした。

何を話しているのかはわかりませんでしたが、
あまりにもその鳴き方が「話しているよう」だったので、
おもわず吹きだして、
聞き入ってしまいました。
もしかして、何を話しているのかわかるかもしれないって思って。

でも、わかりませんでした。
ただ、九官鳥のようにははっきりと人間の言語的な感じではないんです。

でも、
「カーカー」ではないんです。
まったく違うんです。。

話しているって表現がぴったりでした。

文字で表現してみると、
「グアジェ、ゴロゴロ、ウオオー、カアゴロ、ゴーゴー、ウアン、・・・・」
まあ、こんな感じです。
たぶん、首を曲げたり、まわしたりして、必死に発声していたんだと思います。 ( ̄▽ ̄)ノ_彡☆

( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)Σ(´D`lll)微妙っっ!


もっとカラスが話しているのを聞いてあげればよかったな。
でも、電線の下でじっとカラスの観察をしているのも異様な感じでしたから、
通り過ぎました。

郵便局まで行って、またカラスがいた元の道に戻ったら、
もう
「話しをしているらしいカラス」は居ませんでした。

残念、残念。

posted by zone88 at 13:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ナルニア国物語』1、2を観ました。

「ナルニア国物語」の1はテレビで放映された時に観ましたが、
2は観ていなかったので、動画で観ました。
3はDVDで観ようかなと思っています。
4も映画になるらしいですね。
楽しみです。

キリスト教的な・・・・と言われているみたいですが、私はまだそんなことは感じていません。
まあ、まだ1,2だけですから。
ライオンの「アスラン」がキリストか神の設定ということでしょうか。

この物語の主人公は、4人の兄弟から始まっています。
ピーター、
スーザン、
エドマンド、
ルーシー。

箪笥に入ったらそこは「ナルニア国」だったという、アリスの国みたいな話ですね。
異次元ポケットってことでしょうが、どこから入るかが面白いところ。
これがトトロになると、森の中ってなことになるんでしょうし。
どこでもドアだとドラえもんってなことになる。

まあ、一番わかりやすいのは、「スターゲイト」というアメリカのSFドラマでしょう。
いわゆるスターゲイトがそこにあるんですから。

と・・・・、話は戻りまして、ナルニア国ですが。
時間に関してですが、
1の「ライオンと魔女」では、ナルニアでの時間の経過が長時間だとすると、(最後には子供たちが成人しているから)
現実のイギリスに住む子供の世界では数秒です。
だって、ナルニアから出てきたら子供のまんま箪笥から出てきたから。

2の『カスピアン王子のつのぶえ』では、1年後のイギリスからナルニアに行ったら1000年くらい過ぎていたという話。
まるで、竜宮城に行った浦島太郎状態です。
こうなると、肉体年齢ってものは関係なくなります。
だって、子供たちはナルニアでは少なくとも1000歳以上ってことになりますから。
大人子供ですね。

時間と空間の概念が崩壊・・・・。
時間も空間も伸縮自在!
これは、三次元ではありませんね。

ということは、三次元世界から多次元世界への旅ってことでしょうか。
夢も多次元世界だとすると・・・、(多次元の世界へようこそ!)・・・・超ひも理論の番組みたいです。(笑)
もしかして、
私たちは、
知らない間に自分の家の箪笥かクローゼットか、もしかしてソファの下とか、ベッドの中とか、窓とか、
いろんなところから多次元に旅行しているかもしれませんね。
ただ、
覚えていない。

夢もそうですね。
覚えていないものと、話をしないと徐々に忘れていくものがありますから。


もともと私たちは多次元の住んでいるのでしたーーー!!!
じゃんじゃん!!
気がつかないだけでしたーーーー!!
じゃんじゃん!!



ナルニア国物語のストーリーとしてはファンタジーでSFで、現実にはあり得ない話ってことになります。
でも、私たちが想像していることはどこかの次元で現実として実在しているという考えを導入すると、
これは立派にどこかの現実ということになりそうです。

ただ、本を読んで「アー、面白かった」って人の体験を面白がるのと、
自分が本の主人公になってしまって、その現実も体験するという違い。
「ネバーエンディングストリー」のように。

夢に近い感じもしますね。
夢は現実とは認識していなくても、しっかり体感している。
私の場合だと、空を飛んでいる夢とかは、しっかり体感しています。
夢から覚めてからしばらくは、空を飛ぶ感覚を覚えているんですね。
しかし、「制限」のせいか、この三次元の法則のせいか、「飛べません」。(笑)

そうなると、制限をはずすか、三次元ではない別の次元に自分が行けば、
それは現実となるということが見えてきます。
どうやって?

制限をはずすってことは、自己啓発セミナーなんかで散々みんなやっていることです。
次元を超えるってことは、スピ系セミナーなんでガンガン言われていることです。

何で、今の時代、こんなにそんな超現実みたいなことが出てきているんでしょう?

たぶん、
この現実を超えてみたい・・・、とか、
月まで行ける時代なんだから、もっと違う世界があるはずだ・・・、とか、
SFの世界を体験してみたい・・・・、とか、
映画産業の人は、これでもかと超現実のSFのスケールを大きくして、動員数を増やそうとしている・・・とか、


また、話がずれていますが、

ナルニア国物語で印象的なのは、
アスランと四人の子供が力をあわせて、協力することによってナルニアに平和が訪れるということ。
力を合わせてってとこがいいなと思いますね。

棚から牡丹餅ではない。

それと、いろんな生き物たちが登場して、人間と会話が出来ること。
また木々をはじめ、大自然とも会話ができること。
地球と会話できるってことでしょうか。

カスピアン王子が登場する2では、
ルーシーが他の三人の子供に対して、「見ようとしないから見えないのよ」って素直に言うところ。
ナルニアに戻って、はじめにアスランが森の中に居るって言ったのはルーシーでした。
他の子たちは、「どこにもいないじゃん」って。
でも、ルーシーは「見ようとしないから見えないのよ」と言う。

これって、本当にそうだと思うんですね。

いろんなことが、
「見ようとしないから見えないのよ」ってことで。
日常生活でもそうで、
「見ようとしないから見えない」

ああだったらいいなあってことも、「見ようとしないから見えない」。


だから、意志というか、
純粋な信じる心というか、
それがあらゆるものを見させるのではないかと思うんです。

子供の素直な心っていうのは、とても大事なものだと思います。
それが大人になるにつれて、曇って、翳りをみせる。
そして、その心を取り戻すのに多大なエネルギーを使ったり、時間を費やしたりもする。

でも、その前に気付かなきゃね・・・・。
意志も出てこない。


その違いは何でしょうね。

そんなことを思い出すきっかけとなるのが、
「ナルニア国物語」とか、いろんなファンタジーとかSFとか、小説とか、映画とかだったりします。
きっかけ・・ですか。
何でもいいのでしょうか。
それも、わかりませんが。

人によっていろんな道があるのだと思うし、
いろんな表現があるんだろうし、
いろんな生き方があるんだろうし。


ただ、今は、
世界がもっと幸せに満ちたものになって欲しいなと思うわけです。
あまりにも余計なことにエネルギーを使いすぎてる気もするし。

壮大な物語なんでしょうかね。
物語だから、ナルニア国版で言えば、魔女も出てくるわけだし、戦いもあったりもするわけです。
まあ、それがなければ物語としては面白くないし・・・。
だって、魔女もいなくて戦争もなければ、ただただ幸福なナルニアの世界が語られる物語になりますからね。
冒険とはいえないでしょうね。
うううーーん、複雑ですが。

だから、ただの「役」だと思うんですね。
幕が上がればみんな「素」に戻る。

おわり。
じゃんじゃん!!

こんなことで。

何やってんでしょうね、私は。


面白いって何でしょうね。
冒険って、アドベンチャーって何でしょうね。。
それを求めるから、悪役とか作ったりするんでしょうしねえ・・・・。


そんなことで、「ナルニア国物語」はワクワクして面白いです。
岩波少年文庫で全巻があるので、そちらも読んでみようと思っています。


ナルニア国物語の実写版、不思議の国のアリスの実写版、ついでにスタートレック、スターゲイトの実写版も
体験してみたいですね。
posted by zone88 at 12:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

すっかり身体が軽い!!

先日、身体が軽いなんてことを書きましたが・・・。

その数日後の今は、「すっかり身体が軽い」という感じになってきました。
何でかな?

それは、たぶん、頭じゃなく、心を中心にしたからだと思います。
ハート中心です。

ハートセンターって言葉は、スピ系で登場してくる言葉ですが、
それですかね。
ハートセンターって言うくらいだから、中心(センター)なんでしょうし。

頭は・・・・・、あまり変らないのですが、頭に意識が行く比重が違ってきました。
なので、頭痛もないです。

すっかり身体が軽いと・・・・、笑顔が増えます。
そして、身体が軽いので、動きも軽快になってきます。
何とな〜く、周りのみんなにも愛想がよくなってきます。
雰囲気がなんとなく、「ほんわか」、「ほんのり」みたいな感じになってきました。

一番、すごいなと思うのは、
怒らないですね。
内にあったはずの怒りが・・・・縮小しています。
気にならないって感じで。

生活スタイルは、別に何も変っていなくて・・・。
でも、朝の目覚めが良いです。
にっこりです。

いかに精神的なストレスが身体に影響するかってことが何となくわかりました。

朝の目覚めが良いっていうのは、そんなことの典型のような気がするし。
「朝起きたら、小鳥のさえずりが聴こえて、太陽をたくさん浴びて、背伸びをする・・・」
こんな絵に描いたような朝に近いかも・・です。

小難しく考えないで、ハートを中心にしたら、
いろいろ調子がいいみたいです。

やった!
posted by zone88 at 18:45| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

身体は正直

ここ一週間ですが、気分がすこぶる良い。
それは、頭ではなく、心を中心にしてからだ。
心、ハートだ。

よく、心で感じるとか、ハートで感じると言う。
頭では感じるとは言わない。
頭は、理解するとか、わかる、とかだ。

ハートを中心にして、感じることを中心にしていると、何だか身体も喜んでいるようだし、頭はホッとしている感じを受ける。
散歩しているときは、余計なこと考えないから、その延長かもしれない。

頭を使っていないわけではなくて、ハートが中心になって頭を使っているので、頭は酷使されてはいない。

ハートが中心というのは、自然なことだと思うわけです。
だって
身体で一番大切なところは、心臓だし。

バランスがとれている人は平常心があるような気がする。
心だ。
頭は、頭デッカチなんてことになる。

やはり、ハートを中心にした方が、バランスがとれていて、すこぶる良いようです。

心配や恐れなどは、大体未来を予測する頭が考え出す。
ハートは、今を感じることしか出来ないから、心配できない。(; ̄O ̄)

ハートを中心にしていたら、何かかなり良い感じなので、たぶんこの調子で行くだろう。


posted by zone88 at 01:17| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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