2012年08月20日

大貫妙子さん 「春の手紙」



大貫妙子さんの、「春の手紙」は大好きな曲です。
大貫さんの透明な歌い方、素晴らしい詩、クオリティの高いメロディー、
どれも素敵だなと思います。

大貫さんがペンギンを観ている写真がありますが、
これはどこでしょうか?
大貫さんのトークショーを聞きに行ったことがあるのですが、
どこだったのか忘れてしまいましたが。

子供たちと写っている写真がありますが、
どこかのキャンプでしょうか。
子供たちと手をつないだのかな?

かなり前に、大貫さんんのコンサートに一度行きました。
また行きたいな。


この「春の手紙」という曲の詩は誰を想定しているのでしょうか。
私は、誰にでも・・・・という感じがします。

恋人であったり、
夫婦であったり、
子供であったり、
親であったり、
誰でもに。


私は、
私の好きな人たち、出会った人たち、みんなに向けて贈りたい曲ですね。
親になったことのない私は、
親の気持ちにはなれないのかなって思うんですが、
でも、
精一杯伝えるとしたら、
この曲のような気持ち。



「めぐる季節を私は見てる
心に芽生える新しい春を待つように」




春を待つ日に、
陽だまりを見つめながら、
こんなことを思っているときを、
思い出して。
posted by zone88 at 21:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

再び愛について考えたこと

前回、子供みたいな疑問を抱いて、コメントまでいただいて、またまた考えてみました。
ひとりで幸せならパートナーは必要ないってことを。

確かに。
ひとりで幸せならパートナーはいらないかもです。
これは、男性性と女性性が統合されたような、いわゆるスピ系でいうところの覚醒した人みたいな感じの人でしょうか。
それとか、悟りを開いたお坊さんとか。
修業で生涯独身を通すって僧侶がいたような・・・。
でも、これは禁欲ってことだから、ちょっと違うかもしれません。

欲です。
煩悩。
本能?

動物は本能のままに生きているけれど・・。
だって、子孫を残さなきゃ。

ま、これと愛ってのは違うってことは誰でも知っていることだと思いますが。

愛でした。(笑)

無条件の愛ってことを一時とても考えていたことがあったから、
そのことなのかもしれないとも思いますね。
無条件の許容とか、無条件の許しとか。

まったく条件がない。
条件って何?てことになりますが、これは案外自分で線引きしていることかもしれないと思います。
だから、自分のその線引きや枠をはずす。
世間で常識と言われているものも、一時自分の中からはどけて考えてみる。
こんなことを試してみる。

相手の幸せを考える。
相手の幸せって何?
これも時分が考えた相手の幸せだから、こんなことも条件から外してみる。

そうすると、自由ってことが出てくる。
何をしてもOKと。
どうなってもOKだと。
何をされてもOKだと。

どんなことがあっても、相手を愛する、許容する。
無条件だから。

前に母の愛ってことを書いた記憶があります。
太陽のようなって。

「いいのよ」って何でも受け入れてくれて、抱きしめてくれるのが母親。
だから、みんなお母さんが好き。
父は厳しい。厳格って言葉が似合う。
今は逆転しているかもしれませんが。

好きとか嫌いとかを超えた先に愛がありそうだ。
人間として相手を見る。
ひとりの人として相手を見る。
これは若いときにはなかなかできないことかもしれません。

だって、若い時には失恋したり、両想いになったり、片思いになったり、追っかけられたり(笑)だし。
後で振り返れば、思い出となっていて、感情ってものは無くなっていることに気づきます。
あんなに好きだったのに・・・・って。
これは女性だからかもしれませんね。
男性は初恋の相手をいつまでも覚えているっていうし。
私は・・・・、忘れました。
前に付き合って、すごく好きだった人も、今は思い出になって、感情は微塵もありません。
冷たいのかも。
でも、人間的には皆好きです。

恋愛適齢期って映画があったけれど。
あんな感じで、年齢を重ねても恋愛している人たちもいるし。

それにしても、恋愛はやはりいいものですよねえ。
胸がキュンとして。(笑)
初めてそんな切ない思いを抱いた日は、いつだったのか・・・・。
本当に胸が締め付けられるような思いになって、切なくて・・・。
歌にあるように。
だから、やはり人を好きになるっていいなって思います。
それが、嫉妬とか情念とか、そんなものが混じってくるとドロドロしてくる。
そんな波風があった恋愛もあるし。
かえって何もないと、恋愛って燃え上がらないって気もするし。
でも、長続きしない。
火がついたように燃え上がって、花火のように消え去る。

だから、
やっぱり、
恋愛ではなくて、愛がいいなって思います。
愛情で結ばれている仲が。
それはいつでも一緒に居るとか、そんなことではなくて、気持ちが通じ合っているってことかもしれない。
言葉を交わしていなくても通じる気持ち。
お互いを思いやっている気持ち。
ひとりでも十分幸せなんだけど、でも一緒にいるともっと幸せになるような、そんな関係。

みんなにそんな感情や気持ちを抱けたら、すごい幸せなんだろうなって思う。
嫌いな部分はあっても、それでもそれも含めて好きっていうか。
家族の愛と似ていますね。
家族の愛って、そういう深い愛情だから。
何があっても離れない。


やっぱり、あたたかい愛がいいなって感じですね。
安心できて、
あたたかくて、
幸せで、
楽しくて、
信頼できて、
強い絆で結ばれていて、
・・・・・・
ああ、これも条件でした。

私は、
無条件の愛がいいなって思っているのでした。

あーあ、やっぱりあまりにも人間的です。
でも、人が好き。
人だから恋愛できて、
人だから愛を感じられて、

そう・・・。
人を愛せることが素晴らしいって思いました。
愛することができる、そのこと自体が素晴らしい。

よくわかんなくなってきましたね。
posted by zone88 at 22:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

遥か昔に考えた「愛」についてのこと

十代の頃、こんなことを考えた。

皆が幸福になるには?
例えば、私に好きな人ができたとする。
相手にも好きな人がいる。
皆が相思相愛ならハッピーだけど、そんなことは現実にはない。
じゃあ、いつまでたっても、みんなが幸福ってことにはならないな。
どうやったら幸福になるのかな?

こんなこと。

まあ、子供の考えそうなことですが、
答えられますか?

唯一考えられるのは、
「縁がある人と結ばれるのを幸せだ感じられる自分になる」
「すべてを幸せだと感じる」

私が好きな人が幸せになるのは、相手が幸せになってもらうことだから、
相手が相思相愛の仲の人にめぐり合えることを祈るとか。
じゃあ、私は?
まあ、別の人、相思相愛の仲になる人を見つけ出すことですか。(笑)


結婚やおつきあいやそんなものが一対一だという前提ですけどね。

じゃあ、それが崩れたら?
みんなのことが好き・・・・・とか。
そして、私以外の人も私と同じように、皆が好き・・・だと思う人になっている。
これだとまあOKですね。

これって、現実的?

愛の権化、イエス様はどうでしょう?
人類すべてを愛しているイエス・キリスト。
では、マグダラのマリアは?

特別ってことが、独占ってことにならなければいいのか。
それとも、特別というものが無くなるのか。

ツインソウルってあるのか、ないのか。
私はあるように思います。

それと、男性と女性。
だって、その二つの性から子供が生まれるから。

なので、特別な愛情っていうか、やはり、縁とかそんなものでしょうか。

ひとりの人を好きになるって・・・・・、理屈じゃないしねえ。
多数を同じように好きになるってあまり経験ないしねえ。

人の中身が変わらなきゃ、変わらないかもしれませんね。

あまりに人間的すぎる私でした。(笑)
posted by zone88 at 03:39| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月04日

語られない言葉、描かれない空間、行間

空間があると、埋めたくなるのが人間というもの・・・で。
他人と話していると、ちょっとした「沈黙」が生まれる。
で、その沈黙が長くなると耐えられなくなって、別の話題に変える。

食事をしていたり、BGMが流れていたりすると、
その沈黙が埋められる。


本を読んでいると、深いところでは行間の言葉を読み取っている。
音楽もそう。
絵画もそう。


ひとつの言葉に、文章に自分の感覚や感情を込めてみる。
表現しやすいツール。
話言葉でも、その声にも、自分が込められている。

見つめる先、
身体の動き、しぐさ、
呼吸、
風の動き、
音、



行間、
間、
沈黙、
語られない言葉、
描かれない空間、

埋めようとする前に、
埋めてしまって安心する前に、
少しだけその空間を感じてみる。

何を感じるだろうか。

安定と不安定の狭間で揺れ動く、
バランスとアンバランスの中でゆらめく、
何か、
心の動き、
感情の動き、
本当は聴こえている音が、
語られている言葉が、
描かれている何かが、

そこからは、
聴こえ、
感じられ、
見えてくる。
posted by zone88 at 14:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

私の意志はどこから来るのか。

私の中からわいてくる意志は一体どこから来るのだろう?

使命?
天命?

人事を尽くして天命を待つ

高尚だけど、いまいちわからない。
今に生きる。
Be here now
ありのままの自分で存在する。

この状態になるには、やはり高い志が必要なのだと思う。

もし、自分の身勝手から、自己本位から上記のことにフォーカスしたら、本能のままに生きるみたいになってしまう。
じゃあ、その反対は?
他の為に生きる?
ここで間違えてしまうのが、自己犠牲だ。
この状態は疲れる。身体が重くなる。

では、どうするの?

たぶん、誰もがやっていること。
相手を好きになることだ。
好きな人のことは知りたくなり、相手の為を想い、相手の立場に立ち、優しくしたり、喜ばせたりする。
でも、恋愛にみられるような感じだと、嫉妬とか独占欲とか、虚飾とか、自分を偽るとか、なんかねじ曲がったことになるケースが多い。
それは、私を愛して欲しいからだ。

家族はどうか。
うーん、これも間違えば、駄々っ子のようにもなってしまう。

一番良いのは、たぶん赤ちゃんや子供。
無抵抗で、純粋で、愛したくなる存在。
無条件に愛を振りまく赤ちゃんには、こちらからも無条件に愛を送りたくなる。

人間関係で言えばベストな状態。

この湧き出て来る愛情や意志は、きっと人類共通のものだろう。

この状態で誰とも接することが出来れば、たぶん今に生きるや、ありのままや、そんな高尚なことを考えなくても、高尚な状態になっている自分を感じるだろう。

楽しい時間はあっという間に過ぎるというけれど、それが今に生きている状態に近いなと思う。

ありのままということから言えば、自然に赤ちゃんを見て微笑んでいる状態がありのままの自分だろう。

そんなことが少しずつ増えてくれば、きっともっと大きな、高い意志や意識になっていって、真の自分の姿を発見できるきっかけをつかめるだろう。

誰もが赤ちゃんだった訳だし。
共鳴するだろうし。

難しく考えないでいいんだと思う。

私から湧いてくる意志は、たぶん、人類共通の生命からだろう。
posted by zone88 at 02:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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