2012年09月29日

シンクロニシティ

シンクロニシティって、増えてくると爆発的に増える。
最近は人とのシンクロニシティが多い。
以前は場所や数字、本やネットの情報が多かった。
今は人。

一日の内で何回も偶然があると、驚く。

同じ言葉を一緒に言う。
それもフレーズで。

同じデザインを選ぶ。
それも五つも。

同じメニューを選ぶ。
それも違う時間で。

同時に電話する。
だから、話し中になる。

同じ日に同じ色の服を着ている。


確かにその人とは、傾向が似ているなとは思っていたのですが、あまりにも偶然に同じことが重なると、自分の片割れなんじゃないだろうかと思ってしまう。
その位、偶然が多い。
しかし、それは今年に入ってからだ。

確かに何かが起きている。

何とも不思議ですが、シンクロニシティは、ひとつを抜かしてすべて同じ人だったので、たぶん、その人とは同じ波長だったのだろうと思う。

これは、共鳴かもしれない。
そして、すべて喜んでいるときに起こっている。
皆のために無心に何かに取り組んでいるときだ。

私が感じたのは、たぶんその人はこれからの社会の新しい型となるだろうということだった。
今の社会の在り方を、新しい形に自然に変化させていけるひとりだ。
新人類。
ニュータイプ。

我欲がまったく無い人の型。
自然なタイプ。

新しい社会、世界のひな型を見たようで、今日はとても嬉しかった。
新しい宇宙もきっと生まれる。

そんな気がした。
素晴らしい。
とても素晴らしい。
posted by zone88 at 01:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

メタトロン

メタトロン。

何故か最近はまたメタトロンが気になる。
メタトロンという名前を知ったのは、あるスピ系のテキストを読んでからでした。

金属的な、メカ的な、錬金術のような、原子記号のような、不思議な感じ。
でも、存在している。
大天使という名前はやはり相応しい。
私は大好きですね。
そして、力強い感じと、幾何学的な感じも好きです。

私の憧れ…みたいな存在。

機械系が好きな私は、やはりロボットが好きで、PCや、電車や、金属系で動くものには愛着がわきます。

だから、何か?
(>_<)
と、言われそう。


メタトロンとダンスしたい。
ダンスというのは、優雅に踊ること。私の場合は。
エネルギー的なダンスです。

電子。
私の身体に張り巡らされている電子。
メタトロン的だ。

メタトロンは、とても優しい。
ものすごく。

不思議な、不思議な、
そんな存在だ。

波長が合うのかな?

posted by zone88 at 01:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月16日

ふるさと再生 日本の昔ばなし「閻魔様の失敗」を見ました。

8月の半ばに、何気なくテレビを見ていたら、「日本昔ばなし」をやっていました。
その中で、「閻魔様の失敗」というおはなしが大変に面白かったのです。

声優は、柄本明さんと松金よね子さんです。

内容は、
神主さん、お医者さん、軽業師の三人が三途の川で出会い、その後閻魔の庁で閻魔様の前に行きます。

三人がぶるぶる震えていると、閻魔さまが、
「お前たちが生きている間にどれだけ悪いことをしたか白状するがよい・・・」

すると三人は、
「それが、とんと思い出せないのですが・・・」

すると閻魔様は
「お前たちのしてきたことはこの帳面にすべて書いてある」
で、帳面を見ると、三人のことは何も書いていない。

神主さんは
「・・・ということは、間違いということですね。閻魔様も過ちを詫びて、われらを極楽へ送りなされ」と言いました。

そうしたら、閻魔様は「何を生意気な〜、お前たちは地獄行じゃーー」みたいなことになり、三人は釜ゆでの刑になりました。
ここで、神主が、煮えたぎっている湯を、いい湯加減に変えてしまって、三人は
「あー、いい湯じゃ」とかと言って、ひと風呂浴びます。

ますます閻魔様は怒って、次は針の山に送ります。
そうしたら今度は、軽業師が神主さんとお医者さんを担いで、ひょいひょいと針の山を渡っていきました。

ますます怒った閻魔様は「お前たちは何の反省もしていない」と言って、閻魔様自身が飲み込んでしまいました。
すると今度はお医者さんが、医療道具を取り出して、
「ここは、胃の中じゃな。では、みんなで切ったりたたいたりして、はきださせるようにしよう」と言って大暴れします。


腹痛を起こした閻魔様は、転げまわって、釜茹での釜の中に落ちてしまい、
「あちちち・・・・」となり、
次にその勢いで針の山に転げ落ちてしまい、針に刺されまくり、
次には大きな川みたいなところでおぼれて、龍におしりをかまれ、地面でひっくり返りました。
川で飲んだ水を吐き出した勢いで、三人は地上で死んでしまった場所に戻り、生き返ったのでした。

そうして、正直に生きてきた三人は、その後もみんなの為に生きて、長生きしたとさ。

・・・と、こんな話でした。


こんなにネタバレしてもいいのかって感じですが、あまりにおもしろかったので、書きました。

それで?ってことですが、

まあ、私がもし閻魔様に会ったとしても、この三人のように
「閻魔帳に書かれることは何もしていません」って言えるように、
そしてもしかして閻魔様が怒って三人にようになっても、知恵を絞ってみんなで協力して、
地獄を脱出するってこともできるかな・・・・なんて思いました。

とにかく、大笑いした「日本の昔ばなし」でした。


この閻魔様の失敗などの話は、昔話にあるんでしょうね。
また、落語なんかでも地獄に行った人が知恵を絞って脱出したという話もあるらしいです。
どれもこれも面白おかしくネタにして、閻魔の庁の話などをするってあたりもさすがだなと感心しました。
posted by zone88 at 02:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月12日

自分以外の人をコントロールしているとは

意外と気が付いていないことで、「依存」とか、「喜び」とかそのような類のことがある。
自分だけで喜んでいる状態って考えてみよう・・・。
意外と少ないかもしれない。

愛情ということに関しても言えますが、「誰々が喜んでいるから嬉しい」とか、
「誰々が愛してくれるから嬉しい、ドキドキするとか」
これは、真の喜びの状態だろうか。

相手がいなくなったら、その喜びは消えるの?ってことになる。

まあ、ここいらへんは、「無条件の愛」を考えると、わかるような気がします。
どんな状態であっても、自分は喜びの状態であり、愛の状態であると。


しかし、よくよく考えてみると、この喜びの状態になるために、
自分を痛めつけてはいないだろうか。

心と肉体を。

ストレス性の病気ってありますが、胃腸炎とかアトピーとか喘息なんかはよくストレスから・・・なんて言われますが。
ストレス。
これは何で起こるのか。
怒り、恐れ、憎しみ、それを抑えている状態。
他の影響を受けている状態。
ストレス。

ストレス物質を解消しようと、身体は頑張る。
生態的に何かの物質を創る。
そして、快の方向にもっていくようにしようとする。
ホルモンですが。

そして、身体は快を感じる。
これを癒しや喜びと勘違いしている場合がある。
ストレスを感じて癒されるの繰り返しだ。
身体は、だんだん死んでいく。
感情に殺されていく。

快を生み出す為に、ストレスを生み出す。
まるで依存だ。
中毒だ。
ゲームにはまったままだ。
奴隷状態だ。


私は喜びを始終感じている・・・・・。という方に時々、「そんなに頑張らなくてもいいのに」と感じることがある。
本当はものすごいストレスを感じているはずなのに。
抑えていると、身体がだんだん反応してくる。


過去の自分を考えて今に自分がいないとき、後悔とか恐怖とか、比較とか。
ストレスの原因は多々ありそうだ。
病気。
私の場合は、依存だったように思う。
自分で現実を創り出したのであれば、それは依存でしかない。
同情とか注目とか、そんななぐさめの言葉を聞きたかったのか、私は。
そんなことを感じた。
依存、ある意味人をコントロールしていることになる。
神でも仏でも、何でも同じだ。
「癒してくれ」と。
「私を救ってくれ」と。

自分を救うのは、自分しかいない。


今に生きるとは、時間や空間、人、環境、そんなものを切り離せている状態かもしれない。
今が続くのが永遠。
人の死を目にしたからといって、私の肉体は死ぬのだろうか。
そんなことはないと思う。
だって、死んだことはないのだから、この身体で。

今が永遠であるならば、今に生きている限り、死はないことにならないだろうか。

私は私の身体を徐々に殺している。
どうやって?
感情で。

周りは関係がないのだ。
私の状態は私が決められる。
何の条件もなく、何の影響もなく、ただ至福でいることができるはずだ。

もう、人には影響されまいと思う。
もう、環境には影響されまいと思う。
第一に、もう、金輪際、自分で自分に振り回されまいと思う。
定義もなにかも捨ててしまう。

ただ、私がそうなるだけだ。
posted by zone88 at 02:19| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月05日

平和と静寂

最近、「純粋さ」ということを考えていて・・・。
間違った方向に行ってしまわないようにとなぜか気を付けています。

今日は、特に、平和や静寂さというものをとても感じたくなりました。
これは、自分でそういう状態を創り出すだけです。
自分の心の中を静かにする。

自然や動植物は、ただ在るだけで平和な状態かもしれません。
しかし、私たちは人間で、意識と知性をもつ。
だから、意識的に平和で知性を働かせた状態でいたいと思っています。
無意識に反応する平和ではなく、すべてが意識の上に上っている。

意識を潜在意識、顕在意識と分けるのも意味があってのことかと思いますが、
今は、この意識も統合する時期にきていrんだと思います。
無意識のことをエゴと言ったりしますし。
最近、エゴという言葉を使っていなかったので、なんか変な感じもしますが。
「奇跡のコース」にありますね、エゴと聖霊ってことが。


話がそれましたが、自分の心の中を意識的に「平和」に「静寂」の状態にする。
そうすると、落ち着きます。
センタリングとはいまだによくわかりませんが、
私は、自分の中が平和で、静寂な状態が心地いいと感じています。

動的な面も、たとえば心躍るとか、そのような状態ですが、
あまり続くと、ハイになったような気分になり、落ち着かなくなります。
だから、今日は特に「静寂」と「平和・平安」を欲していたのかもしれません。


私は、静かな空間に居るのが好きです。
自然の中を散歩するとか、美術館に行くとか(適度に空いているとき)。
海とか、山とか。

これも、バランスですね。
ワイワイとみんなと過ごすのもとても楽しいし。

結局、当たり前のことを当たり前にするってことかもしれません。


心の平安。
平和、静寂。
この言葉だけでも、とても気持ちがよいです。
自然に呼吸が落ち着いて、深呼吸しています。

posted by zone88 at 01:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月03日

友人の話

友達と久々に電話で話をしました。
その友達は、面白くて、私にとっては気を遣わない友人です。

今、その友達は精神的な病を抱えていて、今日もそんな話を少ししました。
でも、私が話している限りでは、いたって普通に思えるんです。
病院に通っているんですが、病院に行くことによって「病名」がつけられます。
何かしらの病名がつく。

でも、昔みたいに貧乏でお医者さんにかかれない人の場合は、病名なんか知らないし、
自分も病気なんだとは知らないと思うんです。
そして、普通に生活して治っていく人もいる。

確かに、外傷とか、外科的なこととか、内臓とか内科的なこと、心以外の病気は病気です。
でも、心っていうのはそういう身体には不調として現れてきていて、検査しても身体としては何の異常も
認められないから、「精神的な病」となっていまう。

幻聴だって、もし、耳自体に以上があったり、他の臓器に異常があれば、
精神的な病とはみなされない。

友達は当然、薬を処方されているんですが、
薬ってどうなんだろうなって思います。
特に向精神薬。
賛否両論ですが。


ところで、電話で話をした後、友達が「なんか話をしていて、心が軽くなった」って言ったんです。
たわいもない、世間話をしていただけなんですけど。
でも、このたわいもない世間話さえ友人はあまりしていない・・・ということになるのか。
それは、精神的な病気ってレッテルを貼られているせいもあるように思う。
周りの人はやはり、気を遣うと思うから。
「休んでたら?」とか、「こんなこと言ったら悪いかな?」とか、いろいろ。
普通に接するのが一番気が楽なのになって思います。

それで、その友人が「最近、心と身体がばらばらな気がするんだよね」って言うので、
チャクラの話をしました。
私も最近重要だと思ったから。
心臓より上の部分が発達している場合、どうもそんな傾向になるんじゃないかと感じていたので、
「掃除とか選択とか、お風呂に入るとか、そんな日常の生活をただしていたらどうかな」っていいました。
それって、本当に大切で、地に足をつけるってことは肉体を持って生きていることにつながるから。

よく文筆家とか音楽家とか、頭脳を遣うタイプの人は精神的病にかかりやすい傾向があるように思います。
心臓より上の部分ですよね、思考って。
哲学とか心理学とかも。
精神科のお医者者さんがよく精神的病を抱えているってことがありますが、
これは、患者の気持ちがわかるから良いことかもしれませんが、
これも、やはり心臓より上の部分に集中しているからかも・・・って感じます。
心臓より下の部分、生命力とか、自我とか、地に足をつける部分、下世話なことって言いますか、
高尚ではないこと、どうでもいいと思われていることって、やはり大切だと思います。

バランスをとる。
上下のバランス、全体のバランス、精神と物質のバランス、余裕とかリラックスってこととか。
だから、ヨガではリラックス、緊張を解くことをすると思うんです。
でも、ただ緊張を解くだけじゃなくて、そこに誠実さとか愛情とかそんなものがなければ、
生命としては破たんしていくように思うんです。

生命そのものが私たちだから。
生命って繁栄すること、成長することを望んでいると思うし。
だから、誠実さ、高い意識、余裕、バランス、そんな諸々のことが中心であってほしいなと。

エゴや経済優先とか、競争とか、そういうギスギスしたものではなくて、
もっとあたたかさとか、融合とか、助け合いとか、そういう心にとって、人間にとって大切なものを中心に・・・。

誰でもしているのかな?
それとも、自分が感じていても、そういう生活は無理だと思っているのかな。

友達の病気も、社会をとても反映していると感じるので、
何とかこの社会を住みよいものに変えていきたいなと思う。

皆が生き生きと生活できる、安心して、豊かで、楽しくて、愛にあふれた社会。
そんなに難しいことなのかな。

そんなことを感じた日でした。

私は、自分の内側をみつめて、自分の内側を変えていくしかない。
それが反映されたらいいなと。
ひとりひとりがそうして自分の内側をみつめて、誠実に、愛を中心にして変わっていけたなら、
素晴らしいなと思う。
posted by zone88 at 00:39| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

最近気になっているもの・・チャクラ

チャクラって、今まであまり気にしていませんでした。
それは、他人から聞く話があまり面白いものではなかったからというのが第一の原因です。
「私は、ハートのチャクラが詰まっていて・・・、それで、○○さんのところでヒーリングしてもらったの」とか。
その手の用語がまず苦手でした。

それから、何で他人の手を借りるのか?ということもありましたね。
自分の身体なのに、何で他人に施術してもらったり何かをしてもらったりするんだろう?と。

そんなことから、チャクラとヨガなどから遠のいていました。
何でそんなに・・・・と思われるかもしれませんが、
私がいつも思っていたのは、「普通でいいのではないのか」ということでしたから。
超能力とか、他人と違った感覚を持っているとか、そのようなことが何故必要なのか、
それに、何故それに憧れるのかがわからなかった。

せっかく人間として地球に生まれてきたのに。

この地球の環境で、人間の形を保って、制限の中で、いろいろありますが、
こうして生きていることが奇跡なんじゃないかと思うことがあるんです。
こんなに、自然が豊かで、多様性があって、美しい星はないから。
まあ、他の惑星に住んだことがないのでわかりませんが。(笑)

チャクラの話に戻しますが、
何でチャクラが気になり始めたかなんですが、
それは、人間関係だったんですね。

人には好き嫌いがありますよね。
合う、合わないとか。
その手の延長上の話なんですが、どうも団体で何かをするということに対して、
ある程度まではOKなんですが、行き過ぎると異常性を感じてしまう、この私。

誰でもそうなんじゃないかなとも思いますが。
こうなると何が正常で、なにが異常なのか、わからなくなってきますが、
私の場合は、ある程度感覚です。
感覚が頼り。

で、この人間関係のことでちょっぴり悩んでいたときに、「松果体」のことが頭に浮かんだんです。
そういえば、松果体はクリスタルだなって。
松果体、脳下垂体、サハスラーラ(ツボで言う「百会」の上のあたり)・チャクラ、アジーナ・チャクラ。
それを調べていたら、メタトロンが登場してきました。
私の好きな、メタトロン。(笑)

かなり前に、トロン好きです、みたいな記事を書きましたが、
かなり前からメタトロンは好きでした。
理由はわかりませんが、メタリックな感じとか、電気的、知的、知識、冷静、そんなイメージがあったからかもしれません。

サハスラーラチャクラは、7番目のチャクラで、頭上にあります。
こんなことも、あまり詳しくは知らなかったんです。
ただ、美術的に仏像の頭の盛り上がったところが肉髻(にっけい)であり、特殊なものだとは知っていました。
悟りを開く前の状態を表しているとか。

ネットで調べてみるといろいろ出てきますが、
このチャクラ、高次と物質のつながるインターフェイス的なところらしいですね。
ですから、エゴは進入できない。

ベールがある。
このベールを創ったのは・・・・・私たち、自分自身なんですね。
自分でこのベールを外すしかない。
幻想のベールとも呼ばれる。

これは、潜在意識とかも関係してくるでしょうし、
いわゆる「引き寄せの法則」とか、現実化とか、創造とか、自己啓発とか、すべてが関係しているチャクラだと思います。
ただし、エゴは受け付けない。
あくまでも高次の高い意識でなければならない。
アクセスできない。

その前の眉間の奥のあたりのアジーナ・チャクラもその関連らしいです。
霊眼とか、第3の眼とか。
そこが開眼して、脳下垂体から松果体、そしてサハスラーラへというルートかもしれませんね。
松果体はクリスタル、クウォーツらしいですから、澄み切ったものでなければ通ることはできませんから。
開花というよりも、機能しなければ、「チャクラがつまってますね」なんて、セラピーで言われるんですかね。(笑)
たぶん、エゴばりばりでそこにアクセスしたら、おどろおどろしい結果になりそうですね。
まあ、私は体験なしですが。(笑)

サハスラーラのことを調べていると、手のひらにも関連がありました。
手のひらがチャクラに相当している。

それで、気がついたことは、サハスラーラの位置でした。
二十年くらい前に、両手のその箇所が盛り上がって、脈打っている感じになってきたんです。
そのときはわからなくて・・・。
もしかして、キリストの磔刑の関係?恐ろしい・・・・なんて思ったりしました。
でも、わからずじまいで、放っておきました。

それで、このサハスラーラと手のひらの関係を見て、驚いたんです。
なんだ、サハスラーラが関係していたんだ、と。

ということで、チャクラのことに興味が出てきたということで、
少しずつ調べ始めることにしました。
何故か、反対から調べ始めるという変なことになっていますが。

第一チャクラは尾てい骨あたりにあり、本能や生命力を司っているらしいです。
ムーラーダーラ・チャクラと呼ばれています。

他は、徐々に調べるとしましょう。
今日はおしまい!


posted by zone88 at 21:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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