2013年03月31日

マインドマトリックスから抜け出る

これまでいろいろな情報を基に、いろんなことを試してきましたが、
一点大切なことに気付いていないことを自覚しました。
それは、自分の為だけにそれを活用してはいないかということです。
それは、自己改革、本来の人の姿に戻ること、自然との一体化などの方向ではありましたが、
全て内向きなんですね。
自己を見つめるとかも、方向を間違えると内向きになってしまう。
いわゆる、自分が苦しいからどうにかそこから抜け出たい。
だから、良いことをしようとか、ボランティアしようとか、潜在意識をクリーニングしようとか、
いろいろな方向になるわけですが・・・。
恐怖やネガティブや、欺瞞とか、苦しみが動機となっている。
それは、あるきっかけであって、そこからいかに抜け出すか。
いわゆる陰謀系の情報を知っても、あまりにも大きすぎて、それが固まりになって、
自己にのしかかってくるわけです。
恐怖を感じてみたり、あきらめるしかないなと思ってみたり、
批判に回ったり、反対したり・・・。

しかし、それが外向きになるとどうだろう。
自分がまず感じている世界に、エネルギー的に責任を持つということから。
それは、恐怖を土台とするのではなくて、愛を土台とする行為。
人間の身体はフィジカル・マインドに偏ると、それはマトリックス(固定概念とか教育とか、思い込みなど)に
占領されているので、どうしてもそれを現実として体験することになる。
人はもともとは光的な存在であるのに、肉体やメンタル体、アストラル体、エーテル体という感情や精神が
マトリックスによって占領されているので、どうしてもネガティブになる傾向がある。
それを感じて、ますます内向きになる。

恐怖を消すには、概念を変えるには・・・と必死になっても、
ますますそれに意識が向いて、その現実が浮上する。
そして外に現れた現実を観て、「何も変わっていない」と判断をして、落ち込む。
そのn繰り返しの傾向にある。

幸福を感じていたとしても、マトリックス内での出来事なので、
いつかは総合的な体が外部の壁や圧迫を感じるようになって、
いわゆる精神世界や哲学やいろいろなものに答えを求めるようになる。

そこから抜け出るにはどうしたらいいのか。
まずは、自分がマトリックス・監獄の中にいるのだという自覚が必要かもしれない。
スライブという動画を観たりすると、理解が得られるかもしれない。
あくまでも理解ですが。

それから、ウイングメーカーの一連の書籍、
そしてサイトに掲載されている文書。
私はこれらが一番わかりやすいように思った。
そして、どう行動するのか。
それが公開されている。

ウイングメーカー・ジャパンのサイト

プロジェクト・キャメロットによるインタビュー

このインタビュー記事を読む際の注意事項に、圧迫感などを感じたら時期を置いて欲しいと書かれている。
それだけ壮大なものなのだ。
しかし、マトリックスの構造と原因、そこからどのように行動すべきかが見えてくる。
これだけまとまっているのはなかなkないだろうと思う。

私は、この後にクウォンタム・ポーズと呼ばれるものや、(呼吸)
整合性のとれているボディになるように、外に開かれた行動を基盤にするようにしました。(ハートからの愛の美徳)
自分のローカル・ユニバースで起っていることに手を差し伸べる行為とでもいうような。
それは内向きではなく、外向きなのだ。
呼吸をしていると、確かに思考やフィーリングから抜け出すことができる。
そしてハートで考え、ハートから話し、ハートから行動する。
それが愛の行為となって出てくる。
私たちは愛と恐怖を行ったり来たりの中間だと思うんです。
分離と統合を行ったり来たり。
何かを達成したと思ったら、今度は落ち込んで孤独になる。そしてまた喜んで再び落ちる・・・とか。
本来の自己が光だとしたら、量子的な存在なわけで、そこで整合性がなくなる。
統合の、開かれた方向が整合性を感じられることになっている。
いわゆるライトボディーです。
そうなるとマカバもわかってくる。

サイトには他にもいろいろな情報がありますが、
「サヴァリン・インテグラルの意識」に到達するための方法が書かれています。
そしてサヴァリン・インテグラルの抑圧構造がマインド・マトリックス(監獄)というわけです。

マインド・マトリックスから抜け出すのは何故なのか。
それは人は皆つながっていて、同価値であり、ワンネスであるからだ。
本来の自己を発見するということかもしれない。
マインド・マトリックスは複雑で、感性が豊かな人(エネルギー的に敏感)であれば、
それを感じて圧迫感や恐怖、壁が自己にのしかかってくる窮屈さを感じると思う。
そして、精神世界や宗教やあらゆる情報を求めて、深くダイブする。
そしてそれを啓蒙しようとし、それを繰り返したり、
間違った方向では、エゴの世界を拡大して満足するようにもなる。
擬似的な幸福かもしれない。

しかし、身体は整合性がとれていないから、またおかしいと気付く。
そして、開かれた自己、開かれた行動にと移行していく。
道は長いかもしれない。
しかし、気付いた人が水の一滴のようになって集まれば、
いつか臨界点に達し、集合意識は変わるはずだ。
私は、その水の一滴になりたいと思う。
posted by zone88 at 08:50| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月26日

エネルギーを奪うのか、エネルギーを与えるのか。

自分の中にあるエゴを観るということは、とっても嫌なものです。
でもその中にあるメッセージがわかれば、それは対処の仕方がわかったということで、喜びに変わってきます。
これが、峻厳の道というものかもしれません。
苦の道。

反対に苦を観ることではなくて、喜びを意識することもまたひとつの道です。
それは無私の状態になって、相手や世の中のことを思って、行動している状態です。
これは愛とか光の状態に目を向けている状態と同じで、ワクワクすること、嬉しいことの連続だったりします。
これが歓喜の道、慈悲の道。

中庸の道というのもあります。
これは、すべてがニュートラルであると観ることができて(峻厳も歓喜も)自分でその状態を創り出すことが出来る状態。
物事はすべてニュートラルであり、自分がそれに意味を与えて創り出すことができる。
二元性を超えて、三元の道を見つけた状態。
二元性を統合している状態。


峻厳の道は主に自分に向かっている状態。
歓喜、慈悲の道は外に開いている状態。
そして中庸の道とはどちらも包み込んでいる状態。
すべてが自分あり、すべてであり、排除しないで闇には光を当てていける自分を発見する・・というような。

五次元の状態は二元性を統合して、三元の中庸の状態に達している感じに似ています。
二元性はもともとなかったのであり、自分が意味をつけているのだと気付いている。
だから、「観照」している状態、小さな自分を大きな自分が観ている状態です。
感じている自分は大きな自分で、小さな自分はなくなっている。(無私)

ヒーリングなどで、エネルギーをもらって苦痛を取り除く状態は、
峻厳の道に思う。
反対に自分がヒーリングされている状態を意識して、自己ヒーリングできると、
今度は周りをヒーリングできる状態になる。(無私)
その両方を観ていて、それが可能であると周りに言葉で伝えられる状態、視点というのは、
大きな自分が小さな自分を観照している状態。
これが世界の為に自分が貢献している状態かもしれない。
自分が出来たことが、相手も出来るのだと、可能なのだと伝えている状態だから。

意識するとは、エネルギーを創っている状態だと思うんです。
もちろん、自分はポジティブやネガティブというエネルギーを持っている塊なのですが、(小さな自己)
分離の状態を選んで(意識して)できた状態が三次元という世界であるならば、
統合というポジティブな状態を意識することで、そのエネルギーを創り出せる。
それはポジティブという統合を意識すること。
たったそれだけなんですね。
意識する。
それは、意志という気(エネルギー)の状態。
意識することで莫大なエネルギーを動かすことができるのが人なんだと思います。
これは量子力学で観るとわかりやすいです。

シュレディンガーの猫の実験です。
箱に入っている猫は「生きていて死んでいる状態」=ニュートラル。(ポジティブでありネガティブである)
人が観察して、「生きている」と思って、意識して箱を開けると猫は生きている。
反対に人が観察して「死んでる」って意識して箱を開けると猫は死んでいる。
意識が先なんですね。
本当は箱の中身は何もない。
いわゆる粒子と波動の状態。光の状態です。
三次元の結果を創り出せるのは、人の意識であるわけです。
一見固そうに見える三次元の世界を決定しているのは、すべて人の意識。
これがエネルギーを創り出している元なんです。
外の世界が自分に向かって襲ってくることは決してない。
だって、自分が創り出しているものだから。
それだけ意識するっていうことは大きなことなんだと思います。

ポジティブにフォーカスするってことが意識するってことが「楽な道」であることが見えてきます。
どちらにしても、今は統合する方向に進んでいる気がするので、
ポジティブを意識して、ポジティブな状態を創り上げることが世界にとっても自分にとってもいい感じがします。
幸せだなと感じれるのが結果であって、決して外の状態が条件ではない。
条件付きの幸福とは、「お金があれば幸せ」とか「あなたが愛してくれれば私は幸せ」とかの、
条件つきの幸福。
無条件での幸福とは、ただ、今「幸せだな」と感じられる状態。
それは三次元で見えている形の世界には左右されない。
相手との比較というのも形の世界の世界なので、そんなことも関係がない。
ただ、自分が「幸福だな」と感じられる、それがバロメーターのような気がします。

幸福というのはポジティブ、統合された状態だと思うので、それを選ぶ、それを意識する。
それが幸福のエネルギーを創り上げる元であるような気がします。
posted by zone88 at 01:20| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

自然との共生

ナチュラルエネルギーリサーチのHPが新しくなりましたね。

下記のメッセージを見て、すごいなと思いました。

http://www.nersrch2020.sakura.ne.jp/message.html


大自然は完全に一体となって、調和の中にあるのに、
そこに住む人間が不調和になっている。
自然は征服できるものではなく、調和して生きるのが自然な人間の生き方で、
そこに喜びと平和、幸福があるような気がします。

古来から大自然を神としてしてきた日本人は、深いレベルでそのことを知っているような気がします。
大自然と共に生きることを。

ナチュラルエネルギーリサーチのくまたさんの文章を見ると、「神人合一」という言葉がでてきました。
無為になって、その境地に達したと。
無為自然。
私にはまだ難しくてよくわかりませんが、
人が本来の姿に戻って、自然と調和して生きる・・・そのようなイメージがします。

人は自我やエゴやいろいろなものを付着させてしまって、
あくなき欲求に踊らされているように思えます。
その自我やエゴをそぎ落とすには、自分が透明な存在になって、完全なボディになるしかない。
ライトボディとかマカバという表現がありますが、その状態はきっと光を増幅させるボディのことを言うのでしょう。
また神と人との合一とは、それを超えて、人の元である神と表現される根源につながった状態なのでしょう。

考えてみれば、日本の神社などはそのシステムです。
天照とかいろいろな神様のネットワークです。
大元の太陽があって、その太陽のちび版が各神社・・・みたいな。
そこにお正月に参詣したり、七五三とかの行事で神社を訪れるのは、
その太陽に護ってもらっている状態なのだと思います。

そして大きくは日本の国土を護り、五穀豊穣を祈り、守ってもらっている。
生かされている。
だから、大地からの恵みは皆で分け合うものだと思うのです、本来は。

神と人との合一とは文字どおりその神社システムの人版なのではないでしょうか。
歩く神社・・・みたいな。(笑)
歩く神社、移動式神社は、そこに太陽という神があるから。

ジョージ・かヴァシラスの情報で、地球は太陽になるみたいなものがありましたが、
もし地球が太陽になったとしたら、今のままの人間では焼き尽くされてしまう。
まるこげです。(笑)
こんがりローストを超えて、炭になってしまうかも。(笑)
でも、自分が太陽と同じになったとしたら、まるこげにはならないでしょう。
そのような単純な発想があります。
くまたさんのような神人合一した人が出てきたということは、
もしかしたら私たちもそうなれる可能性がありますよね。
同じ人間なんだし。

そういう意味で、今後のくまたさんの活動が楽しみです。
めでたしめでたし。

トートのメッセージも力強いものを感じました。
posted by zone88 at 23:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月20日

陰謀系の情報だけでは・・・。

いわゆる陰謀系の情報というものがありますが・・。
私も「実は世界はこんな感じで牛耳られているんだ」とか、「支配者がいる」んだとの情報を読んでいた時期があります。
映画のマトリックスのような世界ですね。

で、その後どうするかなんですが、ニューエイジ系に向かったりするわけです。(笑)
そしてセミナーとかヒーリングとかで、一瞬解決の方向を見たりするわけです。
それは主にマイナスがゼロになった状態です。
一瞬だけゼロもしくはプラスに傾く。
そして、またマイナスになり、またそれを埋める。
医学で言う対症療法みたいなものです。

こんな繰り返しをしているのが、精神世界系の現状なのではないかと思います。
実感がなく、根本の解決にはいたっていない。

世界がそうであるように、自己もまた宇宙や世界と相似形なので、
同じ感じになっています。
ニューエイジ系、精神世界系で「内を見る」とか、潜在意識系でもやはり同じことをしたりします。
真実は内にあると。
自分が変われば世界が変わる・・・。これは自己啓発系なんかもそうです。

そして、あまりにも情報が錯綜していて、情報が多すぎて、消化不良を起こす。


何が根本か。
それは「内なる自己」の方向にあると思うのですが、見えない部分にある。
心の部分とか、スポーツで言うメンタル的なことであるとかです。
形の世界は、後で現れてくる。
バランスがいい人や、うまく波に乗っている人、うまくいく時期という場合はたやすいのですが、
その人を真似たとしても、自分と他人は器が違うわけなので、
どうしても器の小さい人を真似た場合は、うまくいなかいです。
根本の、普遍的な、共通しているところは「型」、フォーマットとして真似ることはできても、
器の大小を考えてみると、小さな器には大きなものは入らない。
あふれてしまう。
これが、「己を知る」ことだと思います。
自分とはどのくらいの器なのか。

支配者と呼ばれる存在は、それはそれはものすごい力を持っているわけです。
私たちが三次元世界に住む小さな蟻んこだと思わせるくらいの「情報操作」ができる存在なわけですから。
(四次元低層の存在)
マトリックスから抜け出すことは大変なわけです。
監視する家来みたいな人もいるし、知らず知らずのうちにお互い同士が監視しあっている状態なのが主な世界で、
いわゆるひとりひとりが支配者にエネルギーを提供する「電池」みたいになっている。
主にその電池の元は「恐怖」とかのネガティブなエネルギーなんですが。

そのマトリックスから抜け出す方向は内にあるわけですが、
その「内なる自己」の方向に目を向けさせないように世界は成り立っている。
そして肉眼で見える世界のみが真実であると思い込ませるための情報操作がうまく機能している。
それが三次元世界。

意識を固定させる自動的な方法として、物質の重さとか粗さは必要だと思うんですが、
その方向が主になってしまっているから、だんだん意識が縮小する、いわゆる分離の方向に進んでしまう。
それが自己と他者をわけてしまって、「足りない」という意識、「比較」という意識になってしまう。
足りないから、蓄積する。
貯蓄なんていうのは、「足りないところを埋める」作業であるわけですが、
それが無制限に増殖する。
市場経済を見れば、「より多く、より豊かに」の方向にばかり向かっているのがわかる。
しかし、満たされない。
恐怖を土台とした蓄積だからだ。
そして、取り合い、搾取する。
恐怖を感じる。→支配者にエネルギーが注ぎ込まれる。
そんな循環だ。

どうやって抜け出すのか。
これは、禅なんかで言われている「無」とか「空」、いわゆるニュートラルの状態にまずはなることが先決かもしれない。
そして比較、判断をなくす。比較、判断ができなくなり、つねにニュートラルの観方しかできなくなるという方向。
そうしてはじめて、自由に選択できるということになる。

比較とか光と闇などは、いわゆる二元性だ。
その二元性の世界から抜け出す。
しかし二元性でいくら闇を光に変えても、きりがないことに気付く。
闇はブラックホールだからだ。
闇というブラックホールに目を向けると、意識すると、ますますブラックホールに飲み込まれるからだ。
では、どうしたらいいのか。

ニュートラルから光に目を向ける。
光を選択する。
闇は無視するのではなく、闇に光を当てて光を発見する、光に転換する。
「無明」を「有明」にする。

自分がニュートラルになっているというのは、イメージでいえば「からっぽ」状態。
もともと人が光の存在であるならば、光→水→クリスタルというイメージでクリスタルそのものになったことをイメージするのが簡単だ。
実際に人体がクリスタルの状態になれば、光を通した場合には、それが増幅されるからだ。
チャクラなんかはその状態で、白い状態の光が分光した状態だ。
それが、人体の元の姿で、ニュートラルな自然な状態。
その状態に戻そうとしていたのが、いろんなワークとよばれるものだ。
チャクラを開くとかバランスを取るとか。
しかし、チャクラにばかり着目してバランスを整えようとしても、いわゆる対症療法的になると、
元も子もない。
すぐにバランスが崩れるからだ。

しっかりとした「クリスタル」化した自己のイメージを保たなければ、チャクラはすぐにバランスを崩す。
それが肉体に現れると、ネガティブという支配者が大好きなエネルギーを生み出す。
ブラックホールだ。
ホワイトホールになるしかない。
ホワイトホールは光を増幅する。

光の状態になるには、常に無条件の愛の状態を意識するのがいいみたいだ。
無条件の愛そのもになるイメージ。
支配者→監視人→無意識に監視しあう人々の世界から抜け出す状態だ。
そして、無意識に監視し合う人々に、自己から無条件の愛を発生させて、放射する。
あくまでもイメージですが。
器が大きければ大きい程、そのベクトルは伸びる。
無意識に監視し合う人々→監視人→支配者・・・・こちらへと延びる。

これは、一人では到底できないことだ。
ひとりひとりがそれに気付き、無条件の愛そのものとして存在するしかない。
その数が増えれば増えるほど、支配は消える。
いわゆる陰謀系も消えていくことになる。

アンドロメダのコンタクティーのアレックス・コリアーさんが言っていたことで、
「対抗するには意識を拡大させるしかない」とはこのことだと思う。
宇宙系の人々が姿を現すには、この条件が整ってから後のことだと思う。
宇宙系の人々は、地球で起きていることの後始末をしに来るわけではないからだ。
いくら宇宙系の人々が地球の政府に協定を申し出ても、地球が支配者だらけで、支配されっぱなしだったら、
宇宙の人々と同じレベル、同じ土俵には立てない。

奇跡のコースでJ(キリスト)が言う、「愛の反対語は恐怖で、愛のみが真実」というのもここにある。
恐怖は幻想なのだ。
真実ではない。
闇とは幻想で、人々がそのように感じさせられているだけだ。
自己の中を真実で満たすとは、簡単に言えば「愛そのものに、光そのもになる」ことだと思う。
それがマトリックスを発見した後に、抜け出す「ドア」だ。
その方向は自己の内にしかない。
外にはない。

外とは三次元の肉眼で見える範囲のことだ。
それは真実の方向ではない。
宇宙的存在が私たちにコンタクトできるとしても、肉眼では見えない方法でコンタクトしているはずだ。
ただ、肉眼では見えないからわからないだけだ。
では、どうやってそれがわかるというのか。
それは、感覚とかイメージとか、感じたことでしかない。
虫の知らせとか、以心伝心とか、日本語でいえばそのような曖昧な感覚だ。

また宇宙的存在は愛そのものでしかないから、それに共鳴したときだけ、共鳴できる状態であるときだけ感じるのかもしれない。
愛ではない邪悪な存在に騙される原因は、自己の恐れとかネガティブが土台にある場合なのだと思う。
ブラックホールからホワイトホールへ。
ひとりひとりが気付いて意識を拡大して、愛と光を増幅される方法が一番確実かもしれない。
その為にインディゴやクリスタルと呼ばれる人々が生まれていたのだと思う。
共鳴装置だ。
地球にインディゴやクリスタルを共鳴装置として地球に配置させれば、それが増幅するからだ。
精神世界やニューエイジでいろんな情報が出始めた1960年代は、インディゴたちが成長した時期と符合する。
しかし、三次元世界に共鳴装置として配置された人々は「記憶喪失」に陥る。
それでもそこに存在して生きていることに意味があるのだということを、潜在意識を調査したドレロス・キャノンさんは言っている。
確かに、インディゴ、クリスタルたちはその記憶を潜在意識に持っているからだ。
人間型宇宙人ともいえる。
人間型宇宙人のインディゴ、クリスタルたちが記憶を思い出し、もっともっと愛と光を増幅して欲しいと思う。
それは、・・・ほかならぬ私もインディゴなのではないかと思っているからだ。

もしもこの記事を読んで共鳴したのだとしたら、あなたもインディゴやクリスタルかもしれません。
愛と光を拡大させて、それを共鳴させて、増幅させようではありませんか。
それは何か行動を起こすとか、そういうことではなくて、ただそういう存在であると知り、
愛と光の存在となり、共鳴し、それを増幅させるとイメージするだけです。
それで実際に共鳴・増幅させようとすると、実際に増幅しているわけで、それが「装置」の「装置」たる所以なのだと思います。
それが大きければ大きい程いいのは当たり前で、
それが「意識を拡大させる」ことなんだと思います。
意識って一瞬でどこにでも届くし、遍在することができますからね。
宇宙に出て地球を眺めていることを意識すると、実際に意識はそこに行っているわけで、
実際にそれだけ拡大してることになりますから。

人の意識というのはそれだけすごい。
そしてその意識を操作しているのが「陰謀系のなにか」の狙いなんじゃないかと思います。
人を支配できれば、世界を地球を支配できるから。

posted by zone88 at 23:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月15日

Gabriel's Oboe - Ennio Morricone



エンニオ・モリコーネさんは、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽を創った方で有名です。
私もこの映画(『ニュー・シネマ・パラダイス』)と音楽は大好きです。
死ぬ前には人生が走馬灯のように見えるという感覚は、このような感覚なのではないのかなと感じます。

この映画を最近また観ましたが、その後でエンニオ・モリコーネさんの作曲した音楽を聴いてみました。
有名な曲が多いので、誰でも聞いたことがある曲が多いと思います。

その中でも、私の中で何度も浮かんでくるのがこの動画にある「Gabriel's Oboe」です。
映画『The Mission』の音楽ですが、私にはどうしてもガブリエルのラッパのように聴こえます。
イメージとしては、最後の審判の時に聴こえるラッパの音です。
実際にはオーボエですが、イメージとしては私の中ではラッパです。
何かを知らせるためのラッパの音です。

言葉にはやはり限界があり、言葉では表せない何かを表すにはやはり「音」なのでしょうか。
聴く人の潜在意識にそのまま入り込むので、言葉はいらないのかもしれません。

ファイル:Hubert van Eyck 010.jpg

ヤン・ファン・エイク画・ガブリエル


今年は、伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が重なる年ですが、
伊勢神宮にある「心御柱」のことが何か発表されるといいなと思います。

生命の樹と関係があるとも言われている「心御柱」。
日本人のDNAに刻み込まれている何かが発動しそうな・・・・。

善と悪は「表裏一体」とも言われるように、表現のしかたが異なるだけで、本当は同じものであるのかもしれません。
宗教なども、元はひとつで同じなのだと感じています。
永遠の生命だけがある。

ミカエルとルシファー(ルシエル)。
人体でいえば右眼と左眼、そして第三の眼。
脳でいえば右脳と左脳、そして間脳。

はじまりとおわり。
おわりのはじまり。

今日は、自分の人生というようなものは何だかどうでもよくて、
ただ、感動している、そのような感覚でした。
この音楽のように美しく。

変な感覚なのですが・・・・、
日本の国旗は『日出る処』を象徴しているようにも見えますが、
今日は、赤い丸印の箇所がイエス・キリストが流した血のように思えました。
犠牲ではなく、大きな愛のような。

誇大妄想のような日記になりましたが、まあ、絵の鑑賞のように、自由に感じていいのだと思うので、
個人の記録として、感じたままにしておこうかなと思います。
posted by zone88 at 22:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。