2013年06月28日

思考を止めるよりも別に意識を向ける

私が潜在意識関係のことを調べ始めて、いろいろやりだしたときに、
思考が現実化していることを知りました。
※成功哲学の本などにはよく書いてあることです。

それから、思考を止める、いわゆる「観照」ということをやりはじめました。
思考を見ている思考者になる。(ややっこしい)
それから、自分の意識を観照する、
分析をやめる、
思考を止める、

息を止める・・・・・と死にます。(笑)

呼吸法なんかもやったりして、
とにかく、いろいろ試しました。

で・・・、思考は止まんないわけです、どうしても。
だって、思考者なんだから。(笑)
脳がある限り、思考しているわけです。

止めたら・・・・、脳死????

ここで言う思考を止めるというのは、「よくない思考を止める」ということだと思います。
それから、「あれこれと思い悩む」とか、「心配する」とか、「未来を予測して恐怖を感じる」とか、
「死ぬかもしれない」とか、・・・いつかは死にますが。

これって矛盾していて、それを止めようとすると、余計にそうなる。
それに意識が行ってしまう。
たぶん、一番いい線行っているのが、「観照する」だと思います。

もっと簡単なのは、
たぶん、
意識する先を変える・・・だと思います。
夢中で何かをやっているときって、考えていないなって思います。
時間も飛ぶように過ぎていく。

だからといって、好きなことばーっかりやっていてもいいのか?という考えが浮かんできます。
そんなことしていいのか?
ちゃんと仕事しなよ・・・とか。
夢中で仕事していれば、その方がいいと思うのですが・・。

また、好きなこと=自分勝手だと、途中で「いいのか怠けていて?」とかの考えが浮かんできます。

だから、たぶん、
良心に従うってのが一番いいのだと思います。
心に従う。
誠実であること。
嘘をつかないこと。
親切で思いやりがあること。
明るく、楽しくあること。
こんなことだと・・・、結構単純なことなのだと気付きます。
それも、自分だけじゃなく、周りもそうなるように、いろんなことを考えます。
そして、行動する。

この場合、思考を止めるだの、なんだのかんだのという瞑想よりも
よっぽど簡単に「余計な思考をしない」ことが出来ている感じがします。
心をこめて何かをする・・・とか。
相手のことを思って何かをするとか。

そうすると、脳とか細胞とか、身体の機能は、心に従うと思うんです。
そうすると、身体が喜びを感じて、それに自然に従ってくれる。
身体は何も悪くなくて、ただ私たちの心が、意識がフォーカスしているものを現実にしようと頑張ってくれる。

脳とか思考が私の主体ではなくて、「心」が私の主体。
主=心、従=脳、思考、身体etc。

「鏡の原理」なのかもしれません。
「思考したものが現実になる」
「意識したものが現実になる」
ここで言う現実とは、目に見えるかたちとなったものということですが。
人間関係も含めて。

嫌なものを止めよう、除こうとするよりも、
良いことに意識を向ける、良い思考をすることで余計なものが少なくなって、
最後には消えていくような気がします。
(善悪の観念も思考で決めているかもしれませんが、ややっこしいので置いといて)
ざっくりと言ってしまうと、無条件の愛ってことになると思いますが。

潜在意識にずーっと溜まっているっていうのは、「時間の蓄積」が前提にあるわけで、
もしかしたら一瞬一瞬で再現しているかもしれないと思うわけです。
それだけ人間ってすごいんじゃないかと・・・。(予測ですが)

ここで、私が嫌だなと感じるのは、
思考が現実化するなら、「何でも自分の好きなように自由にできる」っていうような、
自己中な考え方なんです。
何か・・・、好きだとは思えないんです。
だから、それは・・、要らないなって思います。

自分も周りも自由で、活き活きとして、互いに助け合いながら、絆を築いて生きているっていうのがいいなと。
手をつないでいるような感じ。(おこちゃまみたいですが)

でも、制度ではない。
いろいろ、なんとか主義とかを試してきたと思うんです。
でも、その中に居る人間が変わっていなければ、どれもうまくいかないかなと思う。
人の意識が向上すれば、主義は・・・、いらなくなるのではないか。
そんな感じもします。

でも、誰かがズルするかもしれないから、私もズルをする・・・なんてことだと、
いつまでたっても、奪い合いの世界が続く。

こんな考えもいつまでもしていると、頭の中が思考でぐるぐるになっていく。

なので、良い方向にフォーカスをする。
反対を叫ぶのではなく、明るい未来を創造する方にフォーカスする。
一瞬一瞬。

瞑想って、座ってするだけではないと思います。
修業も、山に入って滝に打たれてってこともありますが、娑婆で生きるってこともすごい修業だと思うし。

概念を変えて、いろいろ試して、
自分の意識を向上させていくしかないなと感じています。
posted by zone88 at 00:15| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

傲慢な思い

人との出会いがあると、必ず別れがあって、寂しいなと感じることがあります。

一生懸命に心を開いて話しても、やはり通じ合わない、縁が無い人っているんだろうな……、と。

家族はどんなに嫌なことがあっても、縁がなくなるなんてことはない。
でも、そうでない家族もいるけれど。

これまで、相手に心を開いて、自分のありのままの姿で接して、それで真の友人になれたらいいなと思ってきたけれど、やはり難しい。
相手次第だからだ。

今日は、青天の霹靂のようなことがあり、なんか少し寂しい感じがしています。

まあ、落ち込むこともあるさ。
……、と。

私にどこか落ち度があったかもしれないし、人として幅がないのかもしれない。
とにかく、今日は別れがあって、
その理由は…、
なんとなく察しがつくけれど、
たぶん、進む道が違ったのだろう。

私の家族は、皆、仲が良いので、あまり気付かなかったけれど、
それは、とても幸せなことなのだと思いました。
信条が違っても家族で居られる。
それは、距離が離れているからかもしれない。
でも、お互いを思いやる気持ちがあるから幸せで居られるのだろう。

人を崇拝するのは、私は苦手だ。
違う信条の人は、仲間はずれとなるから。

皆が同じなんてことはあり得ないだろうけれど、本質は同じなのではないのだろうか。

私は傲慢になっていたのだろうか。
ひとつの主張が正しい、唯一だとか、 そんなことはない。
歩む道が違うだけかもしれないと思う。
頂上をめざしていても、登山道が違うように。
みんな同じだ、きっと。

同じ道を歩む人、違う道を歩む人。
道とは、自分自身なのかもしれない。
皆が持っている特徴、性格、癖、いろいろあって、誰ひとりとして同じ人はいない。
だから、同じ道はないのかもしれない。

ここだけが最高の道…、という思いは、この道を進んでいれば安心とかいう思いは…、少し間違えると傲慢な道になるかもしれない。
私は知っている…、という、知ったかぶり。
あの人を私は導かなければ…、なんていう大上段に立ったような観方…。

勘違いかもしれないと思う。

生命は、皆、同じだから。

あなたはわたし。
他人は自分の写し鏡であるならば、今日別れた人も、自分の写し鏡なのだろう。
いつか、
また、
会える。

それが肉体を離れた後であっても。
そうであって欲しい。
posted by zone88 at 08:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

音を聴く −ニール・テナントの声

私が音楽を聴く場合は、たぶん・・、
音とか周波数を聴いているような気がします。

あまり、意味が入ってくるものは聴かない。
だから、邦楽よりも洋楽を聴きます。
それから、ラジオを聴きながら何かをするというのも苦手です。
それは、意味が入ってくるから、言葉とか意味に耳を傾けてしまうからなんだと思います。

仕事中にラジオが流れていると、集中できない。
でも、洋楽は大丈夫なんですね。

特にペットショップボーイズのニールの声は好きなので、
いつまでも聴いていてもいいし、
他のことに集中できます。
不思議です。

これが、英語がやたら理解できる人だと意味を考えてしまって、
別の聴き方をしているのではなかろうかと感じています。

ニールの創る詩は何となく曲の雰囲気、単語などで大体意味がわかります。
翻訳を読むと、やはり・・・・って詩ばかりだし。
本当は英語をもっと理解できれば、美しい表現などがもっと楽しめるのだと思いますが、
直訳みたいな意味を知らないで、その曲とか音とか、微妙なニュアンスとか、
日本語でいえば「間」」を感じることなんかでもっとその曲の良さを感じられるような気がします。

透明な感じとか、
人間らしさとか、
普遍的なこととか、
矛盾とか、
愛情とか、
変遷とか、
時代とか、
シンプルさとか、
エロクトロにクスとか、
プログラミングとか、
いろいろ・・。

一番感じるのは、「誠実さ」です。
ニールは本当に誠実なんだと思います。

あれれ・・・、またPet Shop Boys、ニール様の話になってしまいました。(笑)


音を聴くとか、
間を聴くとか、
そんなことって、日本的な聴き方だなあと思います。
海外のアーティストは不思議に思うでしょうね。
「何で英語をあまり理解きないのにこんなにヒットしているんだろう?」とか。
それは、
こんなことが関係しているからなんだろうと思います。
決して○○崇拝しているわけじゃなく、
属国的なことでもなく、
ただ、日本人はこういう聴き方をするってだけなんだと思います。

日本人は自然の音を楽しむ。
周波数を楽しんでいるのかしれません。
そういうDNAなのかもしれません。

だから、自然の音に近い、癒し系のニールの声なんかは、
自然の音として心地よく聴こえてういるんだと思います。

ニール様、すごい。
(おっとっと、またニール様崇拝になってしまいました)

しかし、人それぞれの好みですから。
それぞれで楽しみましょう。(笑)
posted by zone88 at 01:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

自分が変わると周りが変わる

自分が変わると周りが変わるという言葉はよく聞きます。
これって、どういうことなんだろうって思いますよね。
でも、文字通りなんだと思います。

例えば、嫌だなあという人が周りにいる場合、
いくら頑張って周りを変えようとしてもダメだったんです。
挙句の果てには、自分まで嫌な存在に成り下がってしまう。(笑)
実は嫌な存在の原因は自分だったんだって気付く。
ゲゲ。

そうして、頑張ってまた今度は自分を変えようします。
でも、どうしても変わらない。
変えよう変えようとして、自分のことばっかり考えているからますます変わらない。
そして、嫌な自分ばかりが見えてきて、
またまた嫌な自分に逆戻り・・・。(泣)

※今は自分が発した思いを責任もって受け入れていたんだとわかりました。

そして、さんざんそんな嫌な面を見せられて、
もう嫌だ、もうどうでもいいってことになっても・・・・、
まだ変わらない。
もうーーー、何で変わらないんだよーと叫ぶ。
でも、変わらない。(笑)

そして、あきらめます。
でも、そこに狙いがあったりして。(笑)
「あきらめたときに願いはかなう」とか、言葉ばかり追いかけて。
だから、希望通りにはならない。
だって、狙いがあったりするから。
バカだなと思う。
本当に私はバカだ・・・と思う。
まあ、文字通りバカなんだと思います。

でも、そんなことをまったく気にしていないとき、
どちらかというと、自分のことを考えていないとき、
周りのことを考えているとき、
そして、ハートとか心を大切にして、皆に接してみようと思ったとき、
そんなときは嫌な人が周りにいても、「私を映し出してくれているんだ」ぐらいに思って、
何と言えばいいのか、そのことが自分の中を通り過ぎていく感じがしてきました。
通り過ぎるというか、風が自分の中を通り抜けるみたいに、
「気にしない」とか「気にならない」とかって言葉になってくる。

そうしたら、
何と、
周りが変わってきました。
人が変わるのではなくて、たぶん、自分が映し出したものが変わったのだと感じます。
自分の中にあった嫌なものが透明になっていく感じで。

嫌だ、嫌だと思っていた人が周りからいなくなっていく。
それは、移動であったり、出向であったり、
その人が自分の好きな道を歩みだしたりして、
私の目の前からいなくなってしまう。
それはそれで、以前は寂しいなと感じていたりしましたが、
今は、「その人が好きな道に進めてとても嬉しい」という感じに変わってきて、
相手の選んだ道、相手にエールをおくるような感じになっていきました。

私が自分で環境を変えるって手もありますが、
その場合は大抵、同じような人の集まったところに行くことになる。
それは実感しています。

でも、自分が動かないで周りが変化していく、
周りの環境が変わっていく、
見えるもの、感じるものが変わっていく、
それって本当に自分では驚きなんです。

以前も一度ありました。
それは私の中で大きな変化があったとき。
浄化の時期というか、大きな気付きがあったときでした。
自分の中で「世界が変わったな」と感じたときでした。
ものすごい勢いで周りが変動していきました。(その時は気付きませんでした)

今もその時期という感じですが、
浄化という側面はあまり強くなく、どちらかというと透明化する感じです。
喜びとか、幸せ感の方が断然多い。
ぽかぽか暖かい感じ。

本当に不思議という感じです。

たぶん、きっかけは、
さんざんいろんな情報を漁って、調べて、セミナーを受けたりした後で、
ウイングメーカーのサイトを訪れて実践したり、Jamesの書いた本を読んだり、
Onenessのメルマガを読んだり、Aiさんの書いた本を読んで、確かめて、実践してみたり、
またいろいろな情報(陰謀系なんかも)を見て、いろんな本を読んで、調べて、自分で試してみたりしてからです。
疑っていたことなんかも、自分で確かめる。
誰かが言ったからとか、評判とか、噂とか、そんなことを基準にしないで、
自分の心を基準にして、
どんなことでも探検してみた。
間違っててもいい、ぶつかってもいい、もがいてもいいから、
そこに進みたいという意志みたいなものがあったんです。

やっぱり心だな、
やっぱりハートだな、
あたたさや優しさ、意志かなと思いました。
頭で理解しようとしても、無理だったんです。(忘れるし・・・、体感してないから、???になる)
騙された―!!!!って思ったり、罠にはまった!!!って思ったり、いろいろ。(笑)

でも、あきらめない。
決してあきらめない。

そんなことをしていたら、
環境やいろんなことが変わってきました。
そして、とても嬉しい。
面白いし。

これから進んでいく道も平坦ではないと思うけれど、
それでもあきらめない。
決してあきらめない。

そんなことを思っているこの頃です。

そして、Pet Shop Boysのニール様(なぜか様付け!)の透き通るような声を聴いて、
心地よいサウンドを聴いて、
ますます自分の心が透き通った気になって、
心地よさを味わって、
生きる活力がわいてきています。

ニール様・・・・。(笑)

本当にニールの声は天性ものなんだと思います。
歌う為に生まれてきたような人です。



Pet Shop Boys - Did you see me coming?
posted by zone88 at 21:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月18日

たくさん体験しよう!

たくさん体験しよう!・・・・って何を?って感じですが(笑)
生きていること自体が体験の連続だと思いますが、
できればしあわせなことをたくさん体験したいですよね。

で、
しあわせって何?

私は、
私が「しあわせ」と感じたときがしあわせだと思っています。
人と比べられない。
体感っていうのか、
今、しあわせかどうか。

よく言われていることですね。
また、飽きた話ですね。(笑)

以前、感謝の反対語は当たり前って記事を書きましたが、
それもあると思います。
感謝を発見できるかどうか。

でも、それ以前に「しあわせだなあ」って感じているってことが大切かなと思います。
そうすると自然に感謝できる。

自然に!です。

「ああ、しあわせ」って。
「ありがとうございます」って言葉が自然に出てくる気がします。

私がしあわせだなあと感じ始めたのは、
心を中心にしはじめてからかもしれません。

心、
ハート。

家族とか、親しい人とか、気の合う友人などと一緒に居る時、
子供と一緒に居るとき、
赤ちゃんの笑顔を見たとき、
そんなときに感じる心、ハート。

とてもあたたかい。
ぽかぽかして、日向ぼっこしているような・・・。

頭でいろいろ分析したり、
思考で組み立てたり、
効率、効率と叫んでみたり、
そんなことをしているときって、ぎすぎすした感じで、
心はどこかよそに行っている感じがして、「あーー、疲れた」って感じになります。

でも、
そんなときこそ、
心を中心にして、
ハートを感じて、
ちょっとリラックスタイムにしてみる。

余裕とか、
心がひろいとか、
そんな感じの人って、イライラしていないし、笑っているし、余裕があるし、冷静だし、
適格だし、
なんというか、
人望が厚いというのか、
人徳があるというのか、
でも、怒っちゃいけない・・・ていうのではない。
感情表現の表れだと思うし・・・、でもTPOってのがありますよね。

やはり、心があたたかい人なんだなあと思うわけです。

そういう人と自分を比べることはしないけれども、
そういう人になりたいなあと思います。
せめて、心に余裕をもちたい。
心の広い、
あたたかい心の持ち主になりたいと思います。

そう思っているときって、「心に意識がいっているとき」なんだと思います。

だから、そうなりたいと思うことが大切だなと。
めざす人が具体的にあってもいいですし。

私の場合は、松下幸之助さんがすごいなあと思います。
若い頃から松下さんの話には感動していましたし。
実際にお会いしたことがないので、そう思えるのかもしれませんが。
神格化しているわけではない。
人して素晴らしいなと思うんです。

ですから、ぜったいにあきらめないとか、
底に落ちて、もがいてもがいても、きっと上に上がれるときがくるって思える。
上って上昇志向とか、権力とか地位ではなくて、
人としてってことで。

深海にもぐって、地の底に着いて、そこから海上に、そして空高くまで昇る感じといいますか。

だから、決してあきらめない。

それからマーケティングを学んでいて、Mr.Xという名前の知らない人が言った言葉が深く心に残っています。
「決して他人のせいにしない。決して周りのせいにしない」ってことです。
なんか、涙が出てきそうになるんですね、この言葉が。

自分の人生に責任をとる、などとよく言いますが、
それって、自分が発したものをすべて受け入れるってことだと私は感じています。
宇宙というか、「鏡」のようなものに反射した自分の思いが、ただ返ってきていると思えたら、
いやな気持を発したら、それが返ってくる。
それも、受け入れる。
責任をもって。

責任をとるって、人の後始末をすることじゃないと思うんです。
ただ、人は自分の鏡だということから言えば、
その人に(たとえばいやな行為)そのような行為を起こさせてしまった原因は自分にあるということで、
その思いを発した自分の責任をとる、いわば「受け入れる」ことなんだと思います。
「他人のことだから私は関係ないや」ってことじゃないのではないかと。

よく聞く言葉で、
「いや、君にそういう行為をさせるようにしてしまった私に責任があるのだから、君は悪くない」みたいなことがありますよね。
これって、自分が発した思いを相手という鏡が私にみせてくれていだけだから、
それに対する責任は自分にあるってことなんだと思います。
スピ系の言葉でいえば、「統合」。

そこで、「私はまた体験をした。そこから何を学んだだろうか、そこからどう発展させていくか」
「二度とそのような思いは抱くまい」と思うかもしれません。
また、「では、私が望む思いとは?良い思いとは?」とか。これがポジティブ思考・・・・的かもしれません。
何でもわくわく、ポジティブって単純思考ではなくて。
(意味のわからないわくわく、ポジティブ、または勘違いわくわく、勘違いポジティブ)

だから、いろいろ、いろいろ体験しようと思う。
だって、体験するために生きているかもしれないと思うからです。

失敗はない。
経験があるだけだ。
・・・・とはよく言ったものだと思います。
しかし、その境地にはまだ遠いかもしれませんが、少しずつ近づいてきていると思います。
※自分で勝手に思っているだけ。(笑)
だって、人と比べないから。(笑)
posted by zone88 at 22:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月17日

体感してなければ「絵に描いた餅」

いろいろ本を読んだり、情報を見たりしているのは何故?
それは、知識をつけたい・・・ということもあるのでしょうけれど、
一番は実感したい、成果を出したい、現実にしたいからなんだと思います。
でも、いくら本に書いてあることを試してみても、実感がわかないと、つまんなくなってそのうちやめます。
こんなパターンが多い。
そして、読んだ本や情報の内容までそのうち忘れ去ってします。
これって、何ででしょうか。

たぶん興味がないことなのか、役にたたない情報なのか、嘘なのか。
そんなことかもって思います。
人から聞いた話の聞きかじりとか、他人の情報の寄せ集めとかは、
まず読んでいて興味がわきませんよね。

でも、実感して、経験している人の話だと、読んでいてよくわかる。
たぶん同じ文章でも、経験している人の文章って何か違うんだと思います。
よく言われることが、「行間」。
「行間を読め!」とかよく言われますが・・・。(笑)
あとは、「空気を読め!」とか・・・。これは反対語はKYでしょうね。

実感するとは、体験して感じること+よくわかっていること+納得していること+再現できること+他人に伝授できること。
そんなことが感じられます。
失敗って基本的になくて、すべては経験だと思っているので、それが点になって、線になって、面になって、3Dになる。
もしかしたら3Dも超えて四次元、五次元にもなるかもしれません。

スピ系でよくチャネルをしている人がいますが、
その状態は、トランスチャネル(チャネラーが身体を明け渡す)、コンシャスチャネル(チャネラーの意識はある)ってのがあります。
これって、チャネラーは実感していないってことですよね。
だから、チャネラー本人にいろいろ聞いても「わかりません」ってことになると思うんです。
しっかりと自分で体感して、体験していることだったらわかりますが、
体験していなくて、ある意味チャネル先の人の話を翻訳しているわけだから、本当は実感はできていない気がします。
だから、「自分で自分に教えられる」現象が出てくるんでしょうね。

そこで、チャネルの内容にも真実とか嘘とか、真実らしい嘘とか、嘘みたいな真実とか、(笑)
いろいろ混在しています。
それって、どうやったらわかるの?
それは、人と同じだと思うんです。
チャネラーが話しているのか、チャネル先の人が話しているのかの違いだから。
チャネル先の人(存在、マスターなど)も、ひとりの人として接してみれば心でわかると思うんです。
なんとなくいい感じがする人とか、気が合うとか、感じ悪いとか。

嘘ついている人とか、体験していない人の話ってなんとなく伝わってこないし。
話がうまくても、ただ話がうまいだけで、なんだか機械とかロボットが話しているんじゃないかと感じる人もいますし。
(そう、私はチャネルというものの何割かは、ロボットからの情報を読み取っているのではないかと感じることがあります。
どんなロボットかというと、宇宙規模の高性能ロボット・機械・情報です。生命がない感じ。)
何というか、感動しないんですよね。
さらーっと右から左へ抜けていく。

しかし、「いやーいい話だった。」で終わる場合もありますが。(笑)
そして自分がそれをやろうとすると、出来ない。(泣)となる。

一番いい方法は、自分の意識で感じたことを、インスピレーションで感じたことを、
勇気をもって進めてみる、やってみることがいちばん身に付きますよね。
やった人、教えた人がいちばん覚えるって・・・、これってOJT。
それの実人生版。

スピ系の情報ばかり読んでいたとき、本ばかり読んでいたときに、
私は実感がないな、といつも感じていました。
他人事なんです。
確かに自分自身にあてはまることもあるけれども、
でも、時間が経過すると忘れてしまう。
何であんなに感激、感動したのに、忘れてしまうんだろう・・と。

それは、体験していないからでした。
当事者になっていないから。
また、体験したいという意欲の元が弱い(動機)か、なかったから。
ただチャネルできるようになりたいとか、超人みたいになりたいってことだったら、
魔術師になればいいのだと思います。
でも、何で超人になりたいと思っているのか?
その先なんです、問題は。

実生活をどうこうしたいとか、
幸せになりたいとか、
現実を思うとおりに動かしてみたいとか。
潜在意識関連は「自分が思い描いた現実を創造する」がだいたいのパターン。
でも、そこに「自己中」が入っていない?と・・・私は感じています。
だから、私は嫌になります。
確かに勉強にはなるけれども、吸収できることもたくさんあるけれども、
中心が「自己中」だと、なんだか意欲がわきません。

もっと、おおきな目的がそれぞれの人にはあるんだと私は思っています。
家を建てて、住宅ローン払って、それでおしまいの人生ではないだろう。

一億総評論家・・って言葉がはやっていましたが、
たぶんそうなんでしょう。
私もそのひとりなんでしょう。

でも、私は自分が体験したことしか書けません。
そうでない場合は文章が出てきません。
その前に気も起りません。


いろいろなことを体感できるように、現実になるようにするには、
そうなるまであきらめずにやるしか方法はない・・・・って当たり前のことですが。
体感できているってことは、「わかった、のみ込めた」「やれて当然だ」ってところまで行き着くこと。

チャネル系の情報でも、嘘でも何でもまずはやってみる。
そして、実感できなかったら、その経験を活かして他の情報なりを探究してみる。
あれこれやってみる。
決してあきらめない。
「成功するまでやる」これが成功哲学だっていいますよね。

最後に実感するためのキーワードは・・・ってことですが、
感じることだと思います。だって、実感だもの。
感じるのはどこか?
こころ、ハートです。
頭では感じない。
だから、頭で考えても実感できないんです。
ただの知識、記憶。
このただの知識、記憶は、心で実感した後にいろいろ助けてくれる。
だから、情報、頭脳は道具に近い感覚かもしれません。
ハートで話す。情熱的って感じがしますよね。
情熱的に男性に話しかけられたら、何を言ってるのかわからなくてもその人に妙に惹かれますよね。
これって、ハートが影響しているからだと思います。

古神道系とか神道系の人とかかわったことがあった時に、
なんか、とても厳しい感じがしたことがありました。
排除みたいな感じが。
私みたいな意志薄弱でダメ人間なんかがその場にいたら、「首を切られる」か、「排除」されるか、「無視」でしょうか。
それとも、コントロールされるか。
どんな厳しさかというと、規律とか、きまりとか、こうでなければならない、とか。
そこから外れたらダメとか。
そして悪を非難する善という仮面。
どっちもどっちだと思う。

同じ生命をもった人同士なのに。

・・、と変なことばかり体感していますが。
ま、これも体感。
後進にはアドバイスくらいはできるかも。
「こんな失敗はしちゃダメ」的な・・・。失敗経験多数あり・・・とか。(笑)


私が体感したいこととは、進化です。
進化に関連していれば、何でもやってきました。
仕事でもいいし、おそうじだって、遊びだって、どれだって、すべて進化につなげるため。
でも最近は皆の進化を助けたいなと思うようになってきました。
だからよけいに「体感」「体験」が重要だと感じています。

わかるまでやる。
わかるまで探究する。
深く探究する。
深く実践してみる。

絵に描いた餅は、美味しそうでも、味まではわかりません。
机上論とかも。
空想とか。

でも、それを一歩先に進めれば、何かが動く。
きっと何らかの経験ができる。
それをあきらめずに続けていく。
失敗だと非難されても、基準は自分において、自分が進化しているなと思えたら、それでよし。

心やハートで物を感じ、ハートの小さくささやく声を聞いてみよう。
頭の、特に左脳は大きな声がしますから。
命令してくることもある。
自分だけだったらいいけど、他人にまで指図してコントロールしようとする。(やめて!)

ハートとハートは、共存共栄で、自由で、面白い。
手と手をつないで・・・みたいな。(笑)
そしてに人間関係がうまくいく。
自主性が出てくるから、みんなそれぞれの個性で動くことになる。


こんなことも「絵に描いた餅」にならないように、明日からいろいろ体験してみようと思う。


そうそう、最近感じることですが、「お月様」が何となく変わった感じがしています。
月は人体にかなり影響していますよね。
世界的に人間の制限がはずされるのなら、これは喜ばしいことです。
だって人間はマインドマトリックスに支配されていたんだから。
(お月様自体じゃなくて、何かの存在のビーム!の影響が変化したかもって感じです)

この先、どんなことが起こるかわかりませんが、
冷静に対処して存在していたいと思いますね。
posted by zone88 at 01:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

「あ、は」的生活

ひらめきや直感がきたとき、私の場合は、「あっ」とか、「あ、は」とか、そんな言葉が出てくる。
出てくる・・・と表現するのがぴったりだ。
それから、夢で見た内容ですが、
記録するか、声に出して話をしておかないと、記憶があいまいになります。
夢は本当に顕著です。

ひらめき(ピカリンとくるもの)も夢と似た感じで、記録とか言葉にするとか、
何かかたちにしておかないと、そのまま忘れてしまうか、記憶からは消えてしまう。

アイディアなんかもそうですね。
「こんなバカみたいなこと・・・」なんて思わないで、とりあえずメモを取るとか、
他人に話してみるとかすると、結構記憶に残るものだ。
バカみたいだと思ったら、ジョークみたいな感じで友人になにげなく話してみると案外面白い答えが返ってくる。

アイディアとか夢は、小さなことであれば、また自分のことであれば、実現しやすい。
でも、少しだけ大きなことになると、自分のことでも難しいなと感じたりする。
その場合は、無理かも・・・ってことになる。
その線引きっていったい誰がしているんでしょうね。
自分なんですが、
どこの自分なんでしょう?
経験?
本当?
誰かが「そんなの無理だよ」と言ったから?

まあ、いろいろありますが、
「あ、は」と思ったことを現実にするには、
小さなことから、できることからまずはやってみるってのが私流です。
何でもいいので、まずはやってみて、それからまた考える。

よく言われているのが、「目指すものがあったら、まずそのものになってみる」とか、
「イメージしてみる」とか言いますが、
手っ取り早く・・・・ってことでは、
例えば、「この大学に入りたい」とかいう場合は、
よく言われているのは、その大学にまずは行って(見学とか、外観を見るとか)、
自分がその大学の建物をはっきりとイメージできるようにしてみる。
次に、その雰囲気を味わってみる。
次に、その場所に通っているようにイメージできるか試してみる。
次に、そこではどんなことが行われているのか調べてみる。
次に、そこに通っている人と仲良くなって、情報を交換してみる。
もちろん、知識を蓄えるのも当然だし、準備は怠らない。

そうなると、だんだん「その大学に入るのが、入っているのが当然」だと思えてくるかもしれない。
「当たり前じゃん」とか。

そんな一連の流れに物事って似ているような気がします。
それもこれも、「あ、そういえば」とか、「あ、は」とか、そんなことから始まっていることって多い。
それを形にするためには、なんと言えばいいのか、
凝縮とか、濃くするとか、固めるとか、
そんな感じに近いのではなかろうか。

よく言いますよね。
「アイディアを固める」って。 →言いえて妙だ!
粘土をこねるようにアイディアを練って、固めて、形にする。
強度をもたせる工夫をする・・・とか。

「あ、は」と思ったことが消えてしまわないように、
固めて、かたちにしてみよう。

例えば、メモ、
録音、
企画立案、
企画書提出、
タイムスケジュール、
・・・・・、

なんか、勉強か仕事みたいになってきました・・・。(笑)

でも、これが自分がいちばん好きなことだったら、
例えば旅行のスケジュールを組むとか。
温泉旅行の計画を立てて、実現させるとか。

たぶん、そんなことと同じような気がします。
優劣も、大小もあまりないような気がします。

どんだけ喜んでいるかで、疲れ度は違いますよね。
温泉旅行で疲労しているんだったら、・・・・・・・・意味ないし。

「あ、は」的生活ってやはり楽しいんだと思います。
だって、楽しくなきゃ、続かないですから。

posted by zone88 at 20:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

気という言葉

日本語には「気」という言葉がありますが、
これが意外にも自分に大きな影響を与えているのではないかという話です。

元気、
強気、弱気、
気にする、
気になる、
気にならない、
気を回す、
気を配る、
天気、
気候、
気功、
病気、
気持ち、
気分、
気配、


まあ、もっとあるとは思いますが。

気というのは、元気の源って感じはなんとなくします。
気って、エネルギー、生命、そんな感じもします。

自分に関係していることでは、
良い気持ちがする場合は、何かいいことが起こりそうな気がするし、
悪い、嫌な気配がするときには、何か悪いことの前兆のよいな気もします。

気にするってことは、自分のエネルギーにする、
気にならないってことは、自分のエネルギーにしない、
気になるってことは、自分のエネルギーになるってこと、
気を配るってことは、自分のエネルギーを配っている、(元気だから気を配れるんだと思います。エネルギーがあるから)
こんな構図が見えてきます。

だから、嫌な気配を感じたら、そこから離れる人が多い。
誰でも嫌な感じを受けた場合は逃げたくなりますよね。
それって自然なことなんだと思います。
反対にいい気分の場合は、そこにずっといたい感じがしたいし、その気分に浸っていたい。

自分にエネルギーがないと、気を配ることは難しくなる。
エネルギーがあると、「元気」って感じでパワーがみなぎっている感じがする。
反対に病気だと弱々しい感じがして、エネルギーがない感じがします。

嫌な人、感じがしたら、出来事があったら、「気にしない」ことがいちばんだなと思います。
「気にならない」っていうのは、出来事になっていない、自分のエネルギーになっていない。
すれ違う人々は大体が気にならない。空気も同然になっている。
でも人間関係などで嫌なことなんかがあると、「気になる」ってことに起こりますが、
その時に「気にしない」ことが大切なんだなあと思います。
だって、変な、嫌なエネルギーだし。
それが自分のエネルギーになってしまうなんて・・・・、嫌ですよね。

そこで大切なのは、物事は中立であると思えるかなんですよね。
松下幸之助さん流に言えば、「物事には幸せな部分と反対に不幸な部分がかならずある」から、
常に中立、冷静でいられるかどうかってことです。
一喜一憂しない。
それがセンタリングなんじゃないかと思います。

嫌な場所、嫌な人からは離れることがいちばんかと思いますが、
そうもいかないときには、「気にしない」こと。
そして、ベストな状態はその出来事を中立に捉えて、できれば良い意味づけをする。
それが、
「失敗はありえない、経験だけがあり、それは成功へのプロセスだ」ってな言葉になったりします。

だから、「気にしない」というのはとても大切なことだと思います。
できれば「気にならない」のがいいと思いますが、
それは熟練してくるとそうなるのかもしれませんね。

とっても嬉しいときも、ぎゃーぎゃーと騒ぐのではなく、
中立に捉える。
静観とか、冷静とか。

出来事はすべて出来事として起っていて、経験としてはすべて同等であると捉えるとか。

何か修業みたいな話になってしまいましたが、
「気にしない」「気にならない」というのは、とても重要だと思いました。

良い感じなこととか、好きな人のことは「気になり」ますよね。
お気に入りとか。
それはどんどん気にしていいのかもしれません。
パワーアップって感じがするし。
好きなことはどんどんお気に入りにする。
良い感じです。

理系の人っていいなと思います。
「そんなの気にしない」って理論立てて言えるから。
科学的なのがスッキリしていてとてもいいなと思います。

posted by zone88 at 00:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月05日

この世界を続けたい場合と輪廻転生

潜在意識を探究していた時に、疑問がありました。
この世界には私一人しかいないんだから、私が消えたらすべてなくなる・・・というもの。

究極ではすべてがつながっていると考えれば、ひとつの生命体なんだという考えもできます。
しかし、この世界を何度も続けて、
「ああでもない」「こうでもない」を続けたいかってことなんです。

私は・・・、この奪い合いとか所有とか、そんな世界はまっぴらだって思いますね。
確かに進化は早いかもしれませんが。
進化って一体なんだって思うわけです。
奪い合いとか殺戮とか、所有とか、怒りとか、欺瞞とか、そんなものをこれ以上続けたいかって??
疑問に思います。
もうこれ以上、要らないって思う。私は。
才能も開花できないまま、既成概念にしばられて何度も人生を繰り返して、
のんべんだらりんと輪廻転生を繰り返すよりも、
体験するんだったら、最短で一回で終わらせたいですね。
※すごい波乱万丈になりそうですが。

でも、そんな決まりも何もないわけで、
ぼろぼろになってまで居続ける必要ないんじゃなのかなあ。
かえって卑屈になってしまいそうですね。
ひねくれ者に。

そう思う人と、またこの世界を味わいたいって思う人って分かれるのではないでしょうか。
輪廻転生も自分で決めれると思うんですね。
ゲーム終了みたいに。
もうゲームに飽き飽きしているのに、それを続けるって・・・・、私はごめんですね。
次のステージに行きたい。
アップグレードしたい。

そんなことで、輪廻転生を決めているのは、他ならに自分だと思うんです。
それも、潜在意識とか、本体の自分が。
決してエゴの、自我の自分ではない。
たぶんエゴの自分は、「死にたくない」って叫んでいるから、輪廻転生しても生き延びたいと思うでしょうが。
「死」を怖がっているのはエゴなんだと思います。
これは私の感覚ですが。

潜在意識、超意識に到達して、それを聞いてみたら判明するかもしれませんね。
え?どうやって潜在意識に到達するって?
それは、・・・・・いろいろ方法があるのでしょうから、自分に合った方法でつながるしかないかもしれません。
それも潜在意識に聞いてみると早いかもしれません。

潜在意識に、
「ねえ、潜在意識に繋がるのはどうしたらいいの?」って。(笑)

これは、内なる意識なので、内なる神とスピ系で言われているものと同じだと思います。
なので、自分がその方法を知っている・・のかもしれません。
インスピレーションとか、シンクロとか、
潜在意識に聴くと、なにかそういう形でどこかに導かれると思います。
情報とか、本とか、セッションとか。

潜在意識系だと、ドロレス・キャノンさんの本がすごいなあと私は思いました。
でも、あくまでも私がすごいなあと思っただけですから、万人が凄いなあと感じるわけではないと思います。

そうそう、ハートにセンタリングするといいみたです。
だって、心で感じるんだし。
インスピレーションはハート経由の脳って感じかもしれません。
脳はレシーバー、潜在意識は超意識との中間って感じで。
潜在意識は深ーい海みたいなイメージです。
顕在意識は表層意識と呼ばれるように、あくまでも5%くらいの表層でしかない。(大洋にぽかっり浮かんでいる小島みたいな) o(´▽`*)/♪
posted by zone88 at 22:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛って弱々しいものだと思っていた。

いろいろ情報を見てきましたが、振り返って情報を見なおしてみると、
意外と「愛」とか、「光」とかっていう言葉が氾濫していることに気付きました。
えも、今までは「愛」とか「光」って見逃していたというか、
何か弱々しいものだと感じていたんです。
弱々しいイメージというか、当たり前のことというか・・・。

どちらかというと、パワーとか、上昇とか、マトリックスを抜けるとか、
変など根性みたいな努力みたいな、力みにピントがあっていたように思います。

それから、「ハート」という言葉も弱々しく感じていました。
これは、主に情報をむさぼっていたからなんだと思います。

情報をむさぼる=頭・・・・に意識が行ってしまっていたから、
「愛」とか「光」とか「ハート」に意識が向かっていなかったんですね。
本当はシンプルに「ハート」から「愛」を感じて、その方向から情報、頭、脳に渡せばいいものを。

今考えたら、人の中心って頭、頭脳じゃないよなって思うんです。
脳が中心じゃない。
心臓ですよね。
肚でもない。
やはり、心臓。
だって、心臓が停止したら「死」だし。

センタリングってハートにフォーカスすることなんだと思います。
だって、センターだし。
どう考えてみても、人の中心に位置しているのは、心臓、ハートなんですよ。

頭脳に偏っていると、頭でっかちになるけれども、
ハートとか心が中心だと、「あたたかい心の持ち主」って思われることが多いですよね。
感情ともまた違う。
感情的っていうと、ヒステリックだと、「頭に血が上る」とか「腹が立つ」とかって言いますよね。

「心にしみるなあ」とかってなんか、良い感じがするし。
まあ「心が痛む」は心配ってことになりますが。

歓びって全身で感じることだと思うのですが、たぶん、心がドキドキして状態、心が躍っている状態だと思うんです。
嬉しいとか楽しいとかって。

だから、ハートにセンタリングして「愛」を感じてみると、
愛って強いものなんだって感じたんです。
そして、子供も両親の愛から生まれるように、生命の源はやっぱり「愛」なんだなと思ったわけです。


そんなこんなで、いろいろ情報を見なおしてみると、
「ハートの愛を通じて無限の愛に通じる」みたいなことが書いてある。
これって真実だなと感じたんです。
チャクラでもハートセンターってありますよね。
このドキドキした、歓喜の感じとか、心の底から湧きあがってくるようなものがハートの愛なのかって思いました。

この「愛」「ハート」「光」にフォーカスさせない・・・・ってことがマインドマトリックスの巧妙な罠なのかなとも思います。
だって、ハートが中心になると、全身が開いていく感じがして、脳もそれに従い、肉体もそれに従う感じがして、
整合性がとれてくるんですから。
だって、生命の源だし、そりゃあ力強いわけです。

「愛」とか「光」とか「ハート」なんて、そんな弱っちいもの!!!!という感じは・・・・、わかりますよね。
それよりも努力だろ、ど根性だろ、営業努力だろ!とかって怒られそうですねえ。
「何、バカ言ってんだよ」とかって言われそうだし・・・。

生命って一番大切なのに・・・です。

そんなことで、情報がまったくいままでと違って見えて、違った観点で読めているこの頃です。
心に沁みるんですねえ、これが。
沁みるって言葉にも心って文字が入っていますねえ、不思議です。

愛と光とハート、とても大切です。
生命って一番大切です。
・・・・・よね。
posted by zone88 at 22:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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