2012年05月03日

私とは

潜在意識、顕在意識、超意識などの意識存在。
私が意識できるのは顕在意識の部分だけだ。

これまでいろいろ試してきた。
主に潜在意識の部分を変えようとしてきたりだ。

しかし、自分の都合やエゴから潜在意識を変えようとすることにかなり抵抗があったので、全て自然に、なるがままに任せるようにしてきた。
全ては本体の私が仕切っているならば、それに任せようと思ったのだ。
しかし、本体の私も全てを理解しているわけではないことを感じる。それに、本体の私は肉体を持った私の痛みや苦悩に対する理解は私とは違う感じを持っている。
全てが恵みであると感じる傾向がある。
それが、顕在意識の私にとっては、判断しないとか、善悪を超えるとか、観照するとかの表現となる。
しかし、死は怖い。
肉体の痛みは耐え難い。

意識存在は、三次元を体験するために私の身体を使う。
私が感じるもの、感情、五感、これは誰が感じているのか?

意識存在がもともと神のようであれば、わざわざこの肉体を使い、地獄を作り出すことはないだろう。
エゴがあるならば、それは潜在意識の中にあるのだろう。
魂。
生命エネルギーは、もともとは他の存在と共生などしない存在なのではなかろうか。
だから、肉体のない意識存在は他の意識存在を取り込もうとする。
宗教の神々が他のエネルギーを取り込もうとするのは、エネルギーが生命であるからではないのか。
自分でエネルギーを作り出すことが出来ない場合、他を取り込むしかない。
弱肉強食だ。

弱肉強食であるならば、頂点に立つのは強いものだ。善悪はない。
エゴでも構わないとなる。

今までの世界は弱肉強食であり、生態系もそうなっているから、目に見えない世界が三次元世界の元であるならば、高次元の世界が弱肉強食だということだろう。

だから、
任せていいのか?と思う。

三次元の世界で何を体験したのだろう?
少なくとも私は共存共栄を望む。
他を蹴落として自分だけのし上がろうとは思わない。
お金が主体の世界を望んでいない。
争いを望まない。
皆、そうなのだろうか?
良心というものは、誰にでもあるのだろう。
でも、世界はお金が主体の世界だし、格差社会だ。
戦争が存在し、飢え死する人も耐えない。

いくら三次元の私が理想の社会を望んでも、それとは程遠い世界が成り立っている。

神々の世界、高次元の世界、潜在意識の世界が変わらなければ、変わらないだろう。
私の無意識の元。
こうしたい、ああしたい、そう思う元。
なぜ、そうするのか?
その考えは大元からやってくる。

神をも作り出した根元意識は、エネルギーを自ら作り出すことが出来るのだろうか?
根元意識から私達の意識が生まれたならば、自らエネルギーを作り出すことが出来るだろう。
しかし、そうではない。
ならば、根元意識もそうなのだろうかと想像する。

私たちは、人間は、壮大な実験の為に三次元という世界に居るのだろうか。
自ら志願して、何かを突破する為に。
そうでなければ、こんなにわからないことだらけの世界が存在することの意味がわからない。

根元意識がまさかゲームして遊んでいるとは思えない。

根元意識も、意識存在も、宇宙も、銀河も、惑星も、神々も、人間も、誰も答えをもっておらず、試行錯誤しているのかもしれない。
進化の途中で、創造の途中なのかもしれない。
終らない。

少なくとも、他の存在を飲み込んで進化する意識存在の段階を突破している段階だということは、私を見れば感じられる。

ハイヤーセルフに全てを任せる私の在り方は、どうなのだろう?
数パーセントの顕在意識である私はもっとハイヤーセルフにわかってもらいたいな、という思いが湧いてくる。
その思いはどこから来るのだろう。
魂なんだろうか。
肉体からだろうか。

潜在意識を、ハイヤーセルフをエゴから捻じ曲げたいなんてこれっぽっちも思っていない。
一緒に、なにか、もっと温かい、暖かい、思いやりのある存在になれたらいいのになと思うだけだ。
たぶん、そう思うのは、私の中にあるちっぽけな赤ちゃんみたいな者だろう。
だから、私は三つの存在から成っているように思うんだ。
posted by zone88 at 00:38| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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