2012年05月09日

意識体

私たちには意識がある。
顕在意識とか潜在意識とかに分類していても、分類しなくても、意識があることはわかる。
肉体もあることがわかる。
心もあることがわかる。
精神もあることがわかる。

死ぬということは、意識がなくなったり、肉体が朽ちたりすることかもしれないけれど、
心とか意識などはどの時点で肉体から離れていくのかはわからない。
もしかして、意識と肉体は離れ離れかもしれないし、もともと。
わからない。

確かに死かもしれないというのは、臓器の機能が停止するってことだ。
だから、言葉を発することができない。
でも、意識はまだ存在するかもしれない。

ところで、肉体がなくなって意識体だけになった場合、自由になるのだろうか。
肉体がないという意味では肉体からは自由だろう。
でも、意識は自由を得るのだろうか。
自由という定義が曖昧だけれども。

私が「宇宙ネット通信」という本を読んで驚いたことは、意識体の存在の仕方だった。
意識体はエネルギーを必要とする。
そして、そのエネルギーは他から摂取する。
だから、他のエネルギー体を飲み込むのだ。
そして膨大になり、その地位を得る。
ヒエラルキーだ。
ちょっと考えると宗教の神々みたいだなと想像してしまう。

神々は、もしかして人間とはまったく違った存在なのかもしれないなと思う。
エネルギーを必要とする。
だから、人間の恐怖や崇拝を欲しがるのか。
何かとても納得してしまうのだ。
どんな崇拝の仕方でもいい。
エネルギーを捧げてくれればいいのだ、人間が神に。
人間は肉体からもエネルギーを摂取する。
もちろん、気というものプラーナというものも摂取する。
主に自然からだけれども、それは地球から摂取しているということになる。

では、地球はどこからエネルギーを得ているのだろうか。
太陽だろうか。
では、太陽はどこからエネルギーを得ているのだろうか。
銀河?
宇宙?
どこまでいっても、どこからかエネルギーを摂取することになる。
循環は?
循環しているのだろうか。

エネルギーの循環。
エネルギーは循環するけれども、消費されることによってゴミが溜まる。
エントロピーの法則。
だからどこかで死を迎えることになる・・・のかな?
考えれば、いつかはゴミだらけの世界となることになる。単純に考えればだ。

死。
熱量死。
無。

新たなエネルギーを生み出す法則がなければ、死に向かう。

人間が自分でエネルギーを生み出すことができれば、他に頼らなくなる。
食べ物を食べなくても生きられるならば、他に頼らなくなる。
共生の構造が崩れる。
弱いから、自分でエネルギーを生み出せないから、「共生」できるのだろうか。
自分でエネルギーを生み出すことができても「共生」するだろうか。

そのような「心」」を持っていれば共生を選ぶのだろう。
自分を考えてみればわかる。
孤独は寂しいという感情があれば、共生を望むだろう。
もちろん、生殖は男女がいなければ成り立たない構造になっているし。
単独で生殖ができたら、これも崩れるけれど。

とにかく、世界は一人では生きていくことができない構造になっている。
建物を建てるにしても、一人では何もできない。
しかし、意識が物を作り出すことを知っていて、それが瞬時に現実化したら、そんなものは要らなくなる。
それが、5%の顕在意識と95%の潜在意識の関係。
それと時間、空間。
人間が意識したものが現実になるには時間と空間が関係している。
ズレが生じる。

私は意識をもっている。
意識が私という自我をもっているのかもしれない。
この意識は私の全体だろうか、一部だろうか。
私は一部だろうか。
もしかしたら使い捨てになるかもしれないし、もしかしたら超越するかもしれない存在。

私は、つい最近まであきらめていた。
どうにもならないと。

でも、ここ数週間でそれは覆った。
もしかしたら使い捨てになるかもしれないし、もしかしたら突然変異するかもしれない・・・・みたいに。
エゴとか自我とかそんなことではなく、「私」という存在としてそう思う。

心の奥底からは、どうしても何かを突破したいという思いがわいてくるから。
おとなしく悟ったようにはなれないらしい。
全て悟りきった、穏やかな自分ではないらしいと。
神々の言葉に素直に従う存在でもないらしいと。
「突破したい」そういう思いだ。
だから、誰かを蹴落として上に上がるとかそういう次元のことではない。
協力してでも、孤独でも、どっちでもない。
そんなことどっちでもいい。

でも、みんなと一緒に居たいという強い思いはある。
突破しても、その背後にはみんなが居る。


弱肉強食のように、ピラミッド型のように、他を飲み込むように、そんな存在ではいたくない。
そんな意識体ではいたくない。


そういえば、昨日はものすごくエネルギーを消費したように思う。
初めて会った人数名と話をしただけなのですが、ものすごい消費だった。
変な消費の仕方というのか、変なものをもらったというのか、とにかく変な感じだった。
人というのは自分が意識していなくても、ものすごいエネルギーを発している存在なのだと思う。
すごい存在なのだと実感した。

人ごみに長時間居ると何か変わった感じがするけれども、それほど何かを消費したという感じにはならない。
人と関るということがエネルギーを消費するのかもしれない。
主に、感情とか思考とか。
感情と思考はものすごいエネルギーだと思った。
消費量もすごい。
それは昨日感じたことだ。
ただ、初対面の人と話をするだけではあり得ない。
思考が入り混じったときに何かが高まり、何かを消費するのかもしれない。

また、人それぞれ持っているもの、エネルギー量というものが違うのかもしれない。

今度、いろんな人に会って、それを感じてみたいと思った。
昨年あたりから、人の思考が交わる場合にそんなエネルギーの重みみたいなものを感じるようになった。
それも、ある特定の人に。
ものすごく感情が激しい人の場合でも、意外と何も影響しない人が多い。
だから感情ではないと思う。

思考、想像したり、創造するエネルギーがものすごく大きなものを持っているように思う。
思いだ。
思いは・・・・・重いです。
言葉通りでした。
恋愛で感じる重みなどよりも、思考のエネルギーの方が重いと私は感じる。
怒りの感情などは一時的なものなので、私はあまり影響されない。
火花のようなもので、パッと消える。
しかし、思考のエネルギーは重い。

人間の思いや思考、それがマインドコントロールによってコントロールされるということはどれだけ凄いことなのか、恐ろしく思う。
だから、宗教などの考えや思考、それがいかに大きなエネルギーになるかがわかった。
信じるという思考。
これが最も大きなエネルギーになり、摂取されたり、操作されたりしたら・・・・想像するだけでも恐ろしい。
それでも、人間は次から次へと思考し、信じ、捧げる。
それでも平気で次から次へと生み出す・・・・・思考する。
ますます強力に信じる。

人間って・・・・人間の持っているパワーってものすごいと思う。

たぶん、これは輪廻を繰り返してきた結果なのかもしれないな・・・とも感じる。
何度も生と死を繰り返すということの強さ、パワー。
念の強さ。

人間ってやっぱり凄い。


posted by zone88 at 22:48| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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