2012年06月19日

ネバーエンディングストーリーじゃないけれど

潜在意識のカテゴリに投稿しましたが、何でかというと「潜在意識」がどうも関係している感じているからです。
以前「潜在意識」関連で自分の思考、特に過去の記憶が再生されて現実が創造されているので、
その過去の記憶を修正したり消去(ホ・オポノポノ)したりしてみましたが、どうも長続きしなかったんです。(笑)
笑い話じゃないって?
そうかもしれません。
しかし、実際長続きしている人はどのくらいいるのでしょうか。
強烈に何か実体験があったとか、そういう人にとっては続ける理由がみつかるのかもしれません。

私の場合は、どうも脳機能そのものをコントロールしている力の方が大きくて、それに抵抗しきれていないって感じがしていたんですね。
よく言いますよね。
「でも」とか「やっぱり無理だ」とか、否定的な言葉で自分の願望とかを打ち消してはいけないって。
可能性は無限なんだから、限定してはいけないって。

確かにそうだと思います。
でも、その願望が「エゴ」から沸いてきたものであったとしたら?
・・・・・打ち消してくれたほうが、後々考えてみたら良いような気がします。
「ああ、あのときやめといてくれてよかった。後悔するところだった」って。
確かに、エゴから発した願望が実現した場合、自分が痛い目を見ますよね。
逆もまた然りで、良いことも自分に返ってくる。
でも、良い悪いの判断ってどこでどうするのか、誰がするのかって思うと、わからないですね。
見る視点によって違うから。

確かに「愛」から発した願望であればいいのだろうと思う。
それは自分が「愛」から発するものだ。
世の中の役に立つことであれば・・・・・、しかしこれも視点や時空が関係してくる。
その当時はいいことであっても今は悪いこともあり得る。

願望が沸いてくる先は一体どこなのだろうか。
内なる神につながっているとか、潜在意識に繋がっているとか、その状態であればいいのか。
無意識を意識に上らせて意識的に選択すればいいのか。
それが「私」の「本当の」願望なのか。


思考は現実化する。
それは自分の人生に、日常に、社会に、世界に、星に、銀河に、宇宙に・・・なんて考えたら、自分は宇宙全体になってしまう。
実際に自分の肉体を見ると、考えると、まさに小宇宙だと感じるし。
しかし、太陽系しかない。
対応する臓器などを考えると、どうしても太陽系に見える。
では銀河は?宇宙は?
たぶん、自分の肉体の周囲だろうと思う。
上下なんかは関係なく。
太陽系までが物質的世界で、その先はたぶん非物質なのだろうと思う。
※あくまでも自分の肉体で考えるとですが。

では、自分の大きさってどのくらいなの?となると、たぶん、肉体を包み込むようにして「私」が存在しているんだと思う。
というか、肉体を含めての全てが自分なのかもしれない。
そんな説は「悟りや覚醒したした人の覚醒体験」を読むとよくわかる。
私はクリシュナムルティの覚醒体験が顕著でわかりやすいと思いましたが。
そこでは、「全てが自分」なのだ。
これは、新しいことではなくて、あるレベルまで行ったら皆が言っていることですね。

でも、天邪鬼な私は、「人の覚醒体験は人の覚醒体験だから私のものではない」として、どうしても違和感があった。
パッケージ化された覚醒や悟り体験は・・・・どうもなじめなかったからかもしれない。


ネバーエンディングストーリーというファンタジーがありましたが、「モモ」の作者であるエンデさんが書いたものですが、
あの本では(映画では)本を読んでいる少年がいつのまにか本の世界とリンクしていたって内容ですが、ざっくり言うと。
忙しい人のために、下記を用意しました。

「12秒でネバーエンディングストーリーを説明する動画



あまりにもざっくりすぎて笑えるくらいです。
ファルコン大好き!!!!って関係ないですが・・・。
ファルコンに乗って大空を駆け巡りたい・・・・って・・・(うるさい)

このファンタジーの感覚ってとてっもわかりやすいなと思います。
リンクしている。
実際にリンクしているんだと思います。
逆リンクもありかもしれないし。
でもどっちも「自分の世界」なわけで、本を読んで想像(創造)しているの側が発信側、既に書かれているストーリーが過去に自分が思考した世界なので。
ナルニア国物語も似たような感じがあります。(こちらは実際に次元でリンクしている感じですが)

どっちにしても、自分の世界。
自分が見て、認識している世界。
意識の投影。
思考が現実になった世界。

これを私たちが生きている世界に置き換えてみると、どうか。
私が認識している世界と、隣に住んでいる人の世界は別物ということになる。
私が見ている世界・・・・それは、私が五感や六感で感じる世界ですが、そうなると実体を伴わない世界もってことになる。
例えば、テレビで放映されてる世界。
外国で起こっていること、私が住んでいる以外の地域で起こっていること、様々ありますが。

また、感じ方の違い、捉え方の違いにも違った世界がある。
私は「あの人は優しい」と感じ、別の人が「あの人は優柔不断だ」と感じた場合。
感じ方が違う。
これは住んでいる世界が違うことにならないだろうか。
ある人は「愛のあふれる幸福な世界」に住み、ある人は「優柔不断で軟弱な人に囲まれた世界」に住む。
前者は「私はとても幸せな世界に住んでいる」と感じ、後者は「周りの人は皆軟弱だ。なんて私は不幸なんだろう」と感じた。
雲泥の差だ。
幸せと不幸。
同じ世界・・・・に見えていても、違う世界。

これって感じ方の違いだけだ。
ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるか。
ポジティブ思考がいいとかそんなことではなく、自分が正直に感じる世界のことを言っているのだ。
全て「幸せ」に感じていたら、その人の世界はばら色だろう。
全て「不幸」に感じるならば、その人の世界は地獄だろう。

何でそう感じるのか。
これは催眠に似ていないか?・・・・と思う。
例えば苦いと感じる人に「これは甘いですよ」という催眠をかけたら、実際に「甘い」と感じる。
その感覚の問題だけだ。
感覚が麻痺して、どれも「幸せ」だと感じる人であれば、どんなことでも「幸せ」だと感じるのか?
それが・・・どうなのだろうか。
催眠でそこまでできるだろうか。
「幸せ」な状態というものを作り出せるだろうか。
暗示で「あなたは幸せを感じる人間ですよ」となることができるのかってことだ。

物事の感じ方を暗示できても、「幸せか不幸か」という暗示は難しいかもしれないと私は思う。

極端な例で言うと、
ヒロポンという覚せい剤が昭和16年代に市販薬として販売されていた。
覚せい剤だ。
小説なども登場してくるから、読んでみるとわかるかもしれない。
世間の常識からしても、その当時は「薬」として販売されていたのだから、「良い」という判断だろう。
そして疲労回復に役立てば、「幸せ」ということになるのだろう。
しかし、現在では全く反対の見解だ。

暗示ということからいえば、「宣伝」が暗示だろうと思う。


少し話しが混乱してきたので、元に戻します。

自分の外の暗示は自分のものではない。
自分が自分にかける暗示は自分のもの。

こんなことが見えてくる。
また、

自分の中の「愛」からわきあがる願望は自分のもの。
自分の中の「無意識なエゴ」からわきあがる願望は自分のものではない。

こんなことも見えてくる。


なんか・・・・・「奇跡のコース」みたいな話になってきましたね。
エゴは幻想である。
エゴが作り出した肉体も世界も幻想である。
神はこの世界を創造してはいない・・・・というもの。(ざっくり過ぎですが)
この幻想は「神の子」の幻想という夢なのだから罪はない・・・・という・・・・。


うーーーーん。



ま、とにかく、私が今感じているのは、

自分が変わらなければ、この世界は変わらないってことでした。
(私が感じる世界は変わらないってこと)

結局、皆が言っている世界観と同じでした。
ことわざとか。

でも、それを実感しているかどうかですよね。
実際にそれを感じているか、それを意識して日常を送っているか、人生を歩んでいるか。

「アミ 小さな宇宙人」で、アミが言っていたことがやっぱり浮かんでくるんですよね。
悪とか、邪悪な宇宙人とかって「自分の頭の中にしかいない」ってことが。
クリシュナムルティーも「世界が混乱しているのは、神が混乱しているからだ」ってこととか。
超ひも理論で言う「並行宇宙」、無限にある次元には自分が多数存在していることとか。
シュレディンガーの猫実験では、「観察する人の意識」が実験結果に反映するとか。

人の顕在意識の力は数パーセントでものすごく小さくて弱いんだなって思っていたけれど、
今は反対のように思っています。
無意識の方が顕在意識よりも強いんだって思っていたけれど、
いまは顕在意識の決断力というか、指令する、判断する力がなければ、「無意識」は動くことができないのではないかとも思っています。
しかし、無意識を意識的に感じての場合です。

無意識を意識せずにただ動いているだけでは、無意識に支配されたロボットのような存在かもしれないと。

この違いが大きいと思う。
無意識を意識に浮上させるのは・・・・これがたぶん、今一部の人たちに起こっていることなんだろうと思う。
覚醒した子供たちはそのブロックがはずれている。

無意識を意識に上らせまいとするする勢力、思考のコントロールですが、これが「月からのコントロール」、
人工衛星「月」からのコントロール、洗脳っていう人もいますが、巨大な「波」なんだろうと思う。
これを跳ね返すだけの力があるのか。
それとも、そのコントロールを承知の上でこの地球に今生まれてきているのかはわからない。
「月からのコントロール」が外れた場合、私たちは超人類に進化しだすのだろうか。

私は、進化したい。

「汝自身を知れ」だ。


私たちは元々進化していた存在なのか、
それとも、これから進化していく存在なのか。

それとも、多種類の人種がいるのか。

その人が受け入れた世界、認識した世界、想像できうる世界、認識した自分が「私」なのかもしれない。
それは、どのレベルの「私」なのか。

ただ、待っていたのではそのまま「無意識」に流れていくだろう。
「意識的」に、「意識的」に。
意識的に生きる。

そう、太陽系が自分の肉体にリンクしているとしたら、「月からのコントロール」も自分の肉体にリンクしていることになる。
どれも自分の内側で起こっていることだ。
並行宇宙、多次元の世界で言えば、
「月のコントロール」の支配がある世界と、
「月のコントロール」がない世界。
もしかしたら、月は火星に移動している世界に居るかもしれない。
どれも存在しているということだ。
想像しうる世界は全部存在しているとしたらだ。
どれを選ぶか・・・、それは私で、私の内部を変えない限り「月のコントロール」のある世界に居るということになる。
どうやって移動するか。
それは意識的な選択で。

私の世界の主人は私なのであるならば。
全ては可能なはずだから。


ファルコンの背中に乗ってお空を飛んでいる世界もある。(笑)
posted by zone88 at 19:43| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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