2013年06月27日

傲慢な思い

人との出会いがあると、必ず別れがあって、寂しいなと感じることがあります。

一生懸命に心を開いて話しても、やはり通じ合わない、縁が無い人っているんだろうな……、と。

家族はどんなに嫌なことがあっても、縁がなくなるなんてことはない。
でも、そうでない家族もいるけれど。

これまで、相手に心を開いて、自分のありのままの姿で接して、それで真の友人になれたらいいなと思ってきたけれど、やはり難しい。
相手次第だからだ。

今日は、青天の霹靂のようなことがあり、なんか少し寂しい感じがしています。

まあ、落ち込むこともあるさ。
……、と。

私にどこか落ち度があったかもしれないし、人として幅がないのかもしれない。
とにかく、今日は別れがあって、
その理由は…、
なんとなく察しがつくけれど、
たぶん、進む道が違ったのだろう。

私の家族は、皆、仲が良いので、あまり気付かなかったけれど、
それは、とても幸せなことなのだと思いました。
信条が違っても家族で居られる。
それは、距離が離れているからかもしれない。
でも、お互いを思いやる気持ちがあるから幸せで居られるのだろう。

人を崇拝するのは、私は苦手だ。
違う信条の人は、仲間はずれとなるから。

皆が同じなんてことはあり得ないだろうけれど、本質は同じなのではないのだろうか。

私は傲慢になっていたのだろうか。
ひとつの主張が正しい、唯一だとか、 そんなことはない。
歩む道が違うだけかもしれないと思う。
頂上をめざしていても、登山道が違うように。
みんな同じだ、きっと。

同じ道を歩む人、違う道を歩む人。
道とは、自分自身なのかもしれない。
皆が持っている特徴、性格、癖、いろいろあって、誰ひとりとして同じ人はいない。
だから、同じ道はないのかもしれない。

ここだけが最高の道…、という思いは、この道を進んでいれば安心とかいう思いは…、少し間違えると傲慢な道になるかもしれない。
私は知っている…、という、知ったかぶり。
あの人を私は導かなければ…、なんていう大上段に立ったような観方…。

勘違いかもしれないと思う。

生命は、皆、同じだから。

あなたはわたし。
他人は自分の写し鏡であるならば、今日別れた人も、自分の写し鏡なのだろう。
いつか、
また、
会える。

それが肉体を離れた後であっても。
そうであって欲しい。
posted by zone88 at 08:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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