2013年06月28日

思考を止めるよりも別に意識を向ける

私が潜在意識関係のことを調べ始めて、いろいろやりだしたときに、
思考が現実化していることを知りました。
※成功哲学の本などにはよく書いてあることです。

それから、思考を止める、いわゆる「観照」ということをやりはじめました。
思考を見ている思考者になる。(ややっこしい)
それから、自分の意識を観照する、
分析をやめる、
思考を止める、

息を止める・・・・・と死にます。(笑)

呼吸法なんかもやったりして、
とにかく、いろいろ試しました。

で・・・、思考は止まんないわけです、どうしても。
だって、思考者なんだから。(笑)
脳がある限り、思考しているわけです。

止めたら・・・・、脳死????

ここで言う思考を止めるというのは、「よくない思考を止める」ということだと思います。
それから、「あれこれと思い悩む」とか、「心配する」とか、「未来を予測して恐怖を感じる」とか、
「死ぬかもしれない」とか、・・・いつかは死にますが。

これって矛盾していて、それを止めようとすると、余計にそうなる。
それに意識が行ってしまう。
たぶん、一番いい線行っているのが、「観照する」だと思います。

もっと簡単なのは、
たぶん、
意識する先を変える・・・だと思います。
夢中で何かをやっているときって、考えていないなって思います。
時間も飛ぶように過ぎていく。

だからといって、好きなことばーっかりやっていてもいいのか?という考えが浮かんできます。
そんなことしていいのか?
ちゃんと仕事しなよ・・・とか。
夢中で仕事していれば、その方がいいと思うのですが・・。

また、好きなこと=自分勝手だと、途中で「いいのか怠けていて?」とかの考えが浮かんできます。

だから、たぶん、
良心に従うってのが一番いいのだと思います。
心に従う。
誠実であること。
嘘をつかないこと。
親切で思いやりがあること。
明るく、楽しくあること。
こんなことだと・・・、結構単純なことなのだと気付きます。
それも、自分だけじゃなく、周りもそうなるように、いろんなことを考えます。
そして、行動する。

この場合、思考を止めるだの、なんだのかんだのという瞑想よりも
よっぽど簡単に「余計な思考をしない」ことが出来ている感じがします。
心をこめて何かをする・・・とか。
相手のことを思って何かをするとか。

そうすると、脳とか細胞とか、身体の機能は、心に従うと思うんです。
そうすると、身体が喜びを感じて、それに自然に従ってくれる。
身体は何も悪くなくて、ただ私たちの心が、意識がフォーカスしているものを現実にしようと頑張ってくれる。

脳とか思考が私の主体ではなくて、「心」が私の主体。
主=心、従=脳、思考、身体etc。

「鏡の原理」なのかもしれません。
「思考したものが現実になる」
「意識したものが現実になる」
ここで言う現実とは、目に見えるかたちとなったものということですが。
人間関係も含めて。

嫌なものを止めよう、除こうとするよりも、
良いことに意識を向ける、良い思考をすることで余計なものが少なくなって、
最後には消えていくような気がします。
(善悪の観念も思考で決めているかもしれませんが、ややっこしいので置いといて)
ざっくりと言ってしまうと、無条件の愛ってことになると思いますが。

潜在意識にずーっと溜まっているっていうのは、「時間の蓄積」が前提にあるわけで、
もしかしたら一瞬一瞬で再現しているかもしれないと思うわけです。
それだけ人間ってすごいんじゃないかと・・・。(予測ですが)

ここで、私が嫌だなと感じるのは、
思考が現実化するなら、「何でも自分の好きなように自由にできる」っていうような、
自己中な考え方なんです。
何か・・・、好きだとは思えないんです。
だから、それは・・、要らないなって思います。

自分も周りも自由で、活き活きとして、互いに助け合いながら、絆を築いて生きているっていうのがいいなと。
手をつないでいるような感じ。(おこちゃまみたいですが)

でも、制度ではない。
いろいろ、なんとか主義とかを試してきたと思うんです。
でも、その中に居る人間が変わっていなければ、どれもうまくいかないかなと思う。
人の意識が向上すれば、主義は・・・、いらなくなるのではないか。
そんな感じもします。

でも、誰かがズルするかもしれないから、私もズルをする・・・なんてことだと、
いつまでたっても、奪い合いの世界が続く。

こんな考えもいつまでもしていると、頭の中が思考でぐるぐるになっていく。

なので、良い方向にフォーカスをする。
反対を叫ぶのではなく、明るい未来を創造する方にフォーカスする。
一瞬一瞬。

瞑想って、座ってするだけではないと思います。
修業も、山に入って滝に打たれてってこともありますが、娑婆で生きるってこともすごい修業だと思うし。

概念を変えて、いろいろ試して、
自分の意識を向上させていくしかないなと感じています。
posted by zone88 at 00:15| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

いつものように、おひさしぶりです(笑)


今日は、自分の見方を書いてみます。


思考を観るこが出来ます。

そのことから思考を観ている者は、思考では無いと感じます。

例えば、自分の手を見ることが出来るので、見ている者は手では無いと思うように。


思考は現れては消えて行きます。

思考が消えても、自分は死にません(笑)

・・・と、自分は感じます。


そして、自身の意思で、「思考を止める」ことは出来ないとも感じています。

いつ、どんな思考が現れるか自分でどうすることも出来た事が無いのですから。

これは、自分の経験です。

1分先にどんな思考が現れるか自分では予測も出来ません。


思考は現れては消えてしまう儚いものだと思いますが、もしその思考に囚われてエネルギー(命)を与え続けると思考は強力になっていくと思います。

それが巻き込まれるという言葉で表現していることだと思っています。


そして、このことに対し出来るかはあまりないとも感じます。

その思考への興味があるうちは、その思考から離れることは難しいと思うので・・・



新たな可能性としては、それは思考への興味が薄れた時にあると思います。

その為には、その思考を十分生きてみるというのも手かもしません。

人は何に対しても飽きてきますから。


その対象への興味が無くなると、本来の自分に注意が向きだすかもしれません。


始めから、本来の自分の中で寛いでしまう方が楽ですが(笑)

Posted by kosumosu at 2013年07月06日 20:50
kosumosuさんへ

コメントありがとうございます。


確かに、思考は勝手に浮かんでは消える。

そして、私とは思考ではない。

思考して幻想と戯れて遊んでいることが好きなうちは、いつまでも遊ぶしかないですよね。

でも、飽きる。

ブログを書いていることも、最近は何で書いているのかと思うことがありますから。(笑)

本来の私でいるだけですね。

気付きをありがとうございます。

最近はハシャグことに妙に疲れているので、本当の自分でいる方が楽だなと思っています。
嘘はつけないです。

Posted by sweetdream(管理人) at 2013年07月06日 23:26
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