2013年07月22日

素朴な疑問 何で分けちゃうの?

量子力学の世界は東洋思想、特に仏教の唯識と似ている・・・・なんてことが言われている。

観察者と観察対象は分けることができないとか、
物心二元論は矛盾を抱えているとか。

私たちという存在はもともとひとつなんじゃないのか?
ということは、全体=個人であり、
世界=私、
そういう構造であり、分割不可能。

物と心を分けたこと自体がおかしいんであって(目的はあったと思いますが)、物=心ではなかったのか・・・と。

私=あなた=世界であれば、
何も問題がないはずですが、何せ、仮想世界では、私=あなた=世界ではなく、
それぞれ個として独立していて、
壁があり、
孤独なのだという感じだと思われている。

動物や植物は「群魂」だと聞いたことがあります。
しかし、人は違う。
特殊なのだと思う。

私=あなた=世界だからといって、「群魂」ではないように思う。

ピラミッド型ではなく、ネットワーク型。
・・・・・と思っていましたが、
ピラミッド型を含むネットワーク型だと思えてきました。
だからピラミッド型が悪いわけではなく、あくまでも全体の一部で、全体は個をすべて含んでいる感じなんだと思います。

対極とか支配とか、対立とか、説得とか、分析とか、なんかピラミッド構造のような感じがしていました。
でも、そこを超えて、すべてを包括するように、すべてを包み込んで、いわば増殖して、拡大していく無限のネットワークへと変化させていく。

分裂をこれ以上繰り返していても、これまではよかったかもしれないけれど、
今は、この分裂現象が巨大化・肥大化しすぎてしまった感じがします。
「俺が・・・俺が・・・」の世界。

もう、包括、まとまる方向での拡大の時期なんじゃないかと思います。
分裂での拡大の方向ではなく、
包括して拡大していく方向。
「私たち」の世界へ。

それが進化なんじゃないかと思うんです。
分裂は退化というよりも、一切を無に帰してしまう、そんなところまで来ている気がします。

私=世界であるならば、ひとりひとりが世界であるならば、
包括していくのもひとりひとりからでしかなし得ない。

物と心の分割、
それもあるけれど、
肉体と空間の分割、人と宇宙の分割、
小さく言えば、物と私の分割、
そんな、あらゆる分割は・・・・・、ないのだと感じる。
それは、量子の世界では、私の体も、物も同じものでできているからだ。
境界などない。

何で、分かれている感覚がするのかなあ?
感覚がなければ、
感覚で「個=全体」ということが感じられたら、もっと世界は違ったものになるだろうか。

少なくとも、所有という感覚はなくなるだろうな。


以上のことを改めて感じたきっかけは、
クリシュナムルティとデビッド・ボームの「時間の終焉」という本、
「ダイアローグ」というデビッド・ボームの本に興味をもったからです。
ネットではその情報を得ていましたが、
本格的に本をじっくり読んだことはありませんでしたから。

「ダイアローグ」は図書館のあったので、明日、借りてきて読もうと思います。

最近は、自分のフィールドから離れてしまっていて、どうも落ち着かない感覚がしていました。
良いのか悪いのか知りませんが、新たな人と人との関係が現れてきたので、
もう逃げている時期ではないな・・・と覚悟しています。

キーワードは「ダイアローグ」です。
「対話」
posted by zone88 at 20:45| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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