2013年07月27日

自然体とか、ナチュラルとか。

気負いのない人とか、リラックスしているような人というのは、
自然体で生きているんでしょうか。

自然体ってありのままの自分って感じもしますが、
この感じが最近いいなと思っています。
別に今まで気負って生きてきたわけではありませんが。

1980年代に、アメリカでは商業主義の音楽に対抗して、オルタナティブ・ロック(オルタナ)が出てきましたが、
そのような動きには私も共鳴します。
極端な商業主義とか、商業音楽とか、消費音楽とか、音楽がいちばんわかりやすい例かもしれないので出しましたが、
すべてに言えると思います。

大体はうまくバランスをとって、職業的なこだわりをもって、かつ芸術性も向上させつつ、商業的にもバランスをとる・・・みたいな感じで、
偏らない感じで進んでいくのがいいのかもしれません。
芸術至上主義もまたコチコチで、傍から見たらあまりいいものではない感じもしますから。

ところで、こんなことを思ったのは、
ニルヴァーナとR.E.M.の音楽をyoutubeで見ていたからでした。
ニルヴァーナはヴォーカルのカートが亡くなった後に、話題のアルバムを初めて買った思い出があります。
R.E.M.は、今まで聴いていなかった。
でも、どちらもやはりいいです。
かなりいいです。
聴きすぎると、(得にニルヴァーナは)ちょっとハイになってしまう感じもして、私にとっては危険区域に突入しそうなので、
程々にしておこうと思っています。

R.E.M.の音楽は、とても自然体な感じがしたんです。
変なところで自然体を感じてしまいますが・・・。

そして、私も自然体になった感じがしました。
自然体って、「心地のいい、きれいな、・・・」みたいな、緑のそよ風って感じではないと思うんです。
それって、意味付けされた自然体な感じで、変。

資本主義の世の中で、自然体で生きるって結構大変なことかもしれません。
みんな仮面をつけて仕事している感じもするし、
その仮面が本当の顔みたいになっている人も多いと思うんです。
定年になって、仕事がなくなったり肩書きがなくなったりすると、「ただの人」になりますが、
それでも自然体になっているかどうかは・・・疑問です。
ものすごい数の仮面をつけていて、死ぬ間際でもわからないかもしれません。

自然体の人って、たぶん、理由もなく「あ、あの人って自然体でいいな」って感じの人かもしれません。
で、自分はどうかというと、「そうありたい」ぐらいな訳です。
仮面つけて笑っていると、顔の筋肉が疲れます。(笑)
これは、先日、飲み会に行ってこうなったからからですが、
「ああ、もっと自然体でいられたらいいのに」と思ったんです。

でも、ニルヴァーナとR.E.M.の音楽を聴いたら、
自然と、そういうのはなくなった感じがしました。
ここ一年くらい、自分ではない感じになっていた(どういう感じだ!)ので、
それがなくなった感じです。

それは、肩の力が抜ける感じとか、
妙にニコニコ笑っていないとか、
気負わないとか、
表現したいことを自然に表現するとか、
そんなことです。
誠実であることもそうかもしれません。

音楽はすごいですね。
アートの力は、言葉を超えている。
音楽に限らず、アート全般に言えることですが。

だから、アートは商業主義にまみれないでほしいと思う。
それは願いのようなものかもしれません。
商業主義にまみれたら、アート性はなくなっていくのかもしれません。
そうでいて、人々の手の届かないものではなくて、とても身近であってほしい。
「わかる人だけわかる」アートってのは、なんだか・・・、寂しい感じもしますから。



R.E.M. - Losing My Religion



Nirvana - The Man Who Sold The World
(デビッド・ボーイの曲のカバーです)
posted by zone88 at 17:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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