2013年08月28日

自分とか私の違和感

最近、「私の場合」とか「私は」とかという言葉を使うことに違和感を覚えてきました。
それは、たぶん思考とか考えている時には思いもよらなかったことです。

これは、昨年から自分の中心を頭(脳、知識、経験など)からハート(心とか魂とか)の方に移行してからの感覚です。
私なるものはいないんじゃないのか?っていう感覚になってきたんです。
特に肉体とか、所有の感覚とか、執着の感覚とかの私です。

確かに肉体はあって、見えていて、こうしてパソコンのキーボードに触れているという感触はあるのですが、
他と別個の私という感じに違和感を覚えます。
だから、他と一体化した私という言葉にも変な感じがします。
すべての一部である私っていうのも何か違うんです。
じゃあ、全てであるの?っていうのもまた違う気がして、私たちっても何か・・・。

でも、
ただ、「私」っていう感じ方が変わってきているのは確かです。
孤独感を覚える「私」はなくなっている。
何かにしがみついている「私」とか、
何かを気にしている「私」とか、

では、どういう「私」感覚なのかというと、
何かと溶け合っている感じなんですね。

たぶん、ハートだけを感じているんだと思うんです。
ハートの感じって、「今」しかなくて、
それと一体化してしまうんです。
だから、「私」という別個のものがなくて、
何にでもなれる感じなんです。
それを観ている何かもいない。

ただぷにぷにしたハートが確かにあって、他はあまり存在感を感じない。
それも、そのハートっていうのが実体があるわけではないんですが、
その方がハート以外よりも現実感がある。

面白い感じです。
思考を通っていない感じで、ダイレクトそのものを直ちに感じる・・・これもまだ回りくどい言い方ですが、
やはり、境界がないっていうのが一番近い感覚かもしれません。

私=あなた・・・・とかってことがよく悟り系で言われますが、
またすべてが私であるとか、
すべてが神であるとか。

そういう感じはまだなくて、
ただ今までの知識の塊の私ってものにはとても違和感を感じ、それではないと確信しているって感じかもしれません。

そして、それって、とても軽くて気持ちがいい。
軽快な感じで、
明るくて、
単純で、
純粋で。

でもどっしりと地に足はついている。
確かに地に足をつけて、しっかり生きているんです。

まあ、ハートにセンタリングすると、
楽〜〜〜ちんです。
そして、嬉しい感じとか、
楽しい感じとか、
ニコニコしているとか、
そんなものが出てくる。
自然に。

本当はこっちなんじゃないのかな?現実って。
そんな感じがしています。

いろいろ知識でがちがちになっているよりも、
それらを地で生きている感じで、
でも、複雑じゃなくて、
とても単純だった。

それぞれが感じることが真実なんじゃないかなと思うので、
私はこの感覚を大切にしていきたいと思います。

こんな思いに皆がなったら、素敵だろうになと思います。
だって、すべてのことが大好きになるんだから。
一緒にいるのが嬉しい。
ただ居るだけで嬉しい。

ハートとハートでつながったらどんなに素敵だろうか。
みんながみんなのことが好き。
子供の頃ってそうだったように思う。
今が楽しくて、
明日のことなんか考えてなくて、
くよくよしていなくて。

ハートにフォーカスすると、なんだかこんがらがっていた糸が、すべてがほどけていくようです。
すごいな。
やっぱり良心に従うってことが気持ちがいいんだなって思います。


posted by zone88 at 23:17| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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