2013年09月01日

輪廻転生、神などの言葉

私の周りには、精神世界系の話をする人は少ない。
一般的に精神世界の話や、信条の話、政治の話はタブーかもしれないけれど。

その中でも、私がここ数年付き合ってきた人は、いわゆる無宗教とか目に見えないものは信じないとか、
理論ですべてが説明がつくと思っている人たちだ。
しかし、その人たちから、「今度生まれ変わってくるときには・・・」とか、
「神様が私を護ってくれた・・・・」などという言葉が出てくることがある。
たぶん、あまり考えてなくて発した言葉だと思いますが。

よく話してみると、
生まれ変わりの話をしている人は、定年退職するまで無宗教で墓参りもしない、そんな人だったらしい。
しかし、定年後、仏教を聞きかじったらしく、「生まれ変わり」の話をし出し、
先日は魂の話まで出てきた。
でも、生まれ変わるらしい・・・、来世ということだ。

もう一人は、仕事上でうまくいったときなどに、「神様っているもんだね」とか、
そんな話が出てくる。
しかし、その人は死んだら「無」になると信じている人だ。

そんなことなので、話が途中で止まってしまうか、その相手の話を聴くだけということになってしまう。
おまけに私は年下なので、一方的に話を聴くだけということになってしまう傾向がある。
ひとりは上司、ひとりは同僚という関係。

退職したおじさんは、「あなたにしかこういう話はできないよ」などと言って、
生まれ変わりの話やら佛になる話やら、いろいろ話をしてくる。
陰謀論とか。
男性的傾向だ。

もうひとりは、女性的だ。
そして、「死んだら無になる」と真剣に思っている人だ。

どちらも教育とか文化とか信念とかそんなものだと思うけれど、
ものすごい信念だなということを感じる。
だから、話をしても、平行線になることが予測できるので、一般的な話になってしまう。

一方、私は、
輪廻はあるけれども、それは時間という観念があっての世界の話で、
すべてが「今ある」と思っている。
だから、ある意味、輪廻を脱するのだと感じている。
神のことは、名称をつけることはできないけれども、生命の、魂の、あらゆるものの根源はあると感じている。
これも、信念かもしれない。
だって、これはある程度知識と思考が入っているからだ。
真にわかっているかといわれれば、「ただそうなのだ」という答えるしかなく、
証明は無理だと思う。
だって、それは、知識や思考や、あらゆる概念や、信念や、そんなものとはまったく関係がなく、
かすってもいないのだから。

人間から人へ。
人から覚者へ。(覚者とは、便宜上の言葉です)
誰もが親から生まれているのもかかわらず、あまりにも違う。
私も教育を受けてきたし、条件的には同じだ。
なのに・・・。

共通なのは、「皆、幸せになりたいと思っている」だと思うけれど。
でも、私は、これも疑問視している。
理由はわからないけれど。

決定的な違いは、「私」に執着していないということかもしれない。
輪廻にしても、「私」が生まれ変わるということで言えば、「私」の延長だ。
「私が幸せになりたい」のであれば、「私」の延長だ。
この「私」(エゴの私)がなくならない限り、闇は消えることがない・・・と私は思う。
だから・・・・、どうすればいいのかと思う。
何が?
皆が幸せになるには、私は、どうしたらいいのか・・・・だ。
この場合の私は、「無私」の私に近い。
それをいつも思っている。
「無私」で生きていくことで、それが波及するのか・・・。
その方法をとろうとして、この日本に、地球に生まれてきた感じがしているから。
ミッションというものがあるとしたら、私にはそれしか浮かばない。
あらゆる方法で人間は進化しようとして、幸せになろうとして、今がある。
そして、何も変わっていないのだと感じている。(本質的に)
変異、ミューテーション、変体、どんな言葉でもいいけれど、
劇的に人が進化するには、どのような方法がいいのか・・・・と、
いろいろ試してきたのだと思う。
最終的には、たぶん・・・・だけれど、「私たちは繋がっているのだと、それに気付いてもらう為に、人の内部から変容をもたらそう」と
思っていろいろな人が転生してきているのだと感じている。

おこがましい・・・・と言われるかもしれない。
でも、皆と一緒にその変容をしていきたい。
どうすればいいのか・・・・・、そればかり思っている。

とりあえず・・・、
いつも笑顔でいようと思う。
いつも光100%でいたいと思う。
いつも「今」を精一杯生きたいと思う。
どんなことにもポジティブでいようと思う。
強い意志を持とうと思う。
叡智を身に着けようと思う。
そして、無条件の愛でいたいと思う。
posted by zone88 at 01:11| 東京 ☀| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『どうすればいいのか?』

最も簡潔でいて、最も難しい問いですね。

「あるがままでいい」という答えが一番妥当と思えるが、
では、「あるがまま」とは?


個人的な考えですが、
現状、人の存在理由は
「憎しみ合い、殺し合うこと」だと思います。
これは進化のためです。
適応と淘汰を際限なく繰り返し、
いつか、憎しみ合うことも殺し合うこともない世界を創るため。

その為に必要な過程。
この過程を通らなければ、虹の彼方へは至れない。

しかし、その過程における悲しみを
«悲しい»と感じる。

・・・
過程を成すのが「あるがまま」?
過程を悲しむのが「あるがまま」?

解らない・・・というのが正直なところです。

であるなら、
解らないままに
混沌と無明を体現するのが
自分の役割なのかな・・・と。

覚者・・・
目覚めた人・・・
起きた人。

ChouCho "Dream Riser"
Posted by 猫です at 2013年09月01日 08:21
言葉足らずだったかもしれません。

YouTubeで

”FF10 エボン=ドーム 『ユウナレスカ』戦”

と検索してみてください。

好きな例えです。
Posted by 猫です at 2013年09月02日 07:41
猫です・・・さんへ

コメントありがとうございます。

>『どうすればいいのか?』

>最も簡潔でいて、最も難しい問いですね。

そうなんです。
というか、「どうするのか?」と考える時点で、既に一定の囲いの中に舞い戻ってしまっている・・・と思いました。


>「あるがままでいい」という答えが一番妥当と思えるが、
>では、「あるがまま」とは?

よく言われる言葉ですよね。
「あるがまま」
起ってくる物事は、起るがままに・・・みたいな感じでしょうかね。

>個人的な考えですが、
>現状、人の存在理由は
>「憎しみ合い、殺し合うこと」だと思います。
>これは進化のためです。
>適応と淘汰を際限なく繰り返し、
>いつか、憎しみ合うことも殺し合うこともない世界を創るため。

確かに、そう思います。
熾烈な程、進化も早いと。
その進化を促している存在がいるわけで・・・、地球は舞台として比喩されますが、地球もその進化を促すものの側かもしれないと感じています。

まあ、戦いも、これまでさんざん繰り返してきて、飽きてきている局面の人と、まだ戦い足りない局面の人が混在しているのかも・・と思います。
※これはこの人生での出来事だけではなくてです。


>その為に必要な過程。
>この過程を通らなければ、虹の彼方へは至れない。

>しかし、その過程における悲しみを
«悲しい»と感じる。

>・・・
>過程を成すのが「あるがまま」?
>過程を悲しむのが「あるがまま」?

>解らない・・・というのが正直なところです。

>であるなら、
>解らないままに
>混沌と無明を体現するのが
>自分の役割なのかな・・・と。

確かにそう思います。
進んでいくしなく・・・。
しかし、舞台としての地球が、崩壊するまでに人間が戦いのエネルギーを発していて、それを知らないとしたら、地球もろとも崩壊ってことになります。
限度ってものがありそうな気もします。
・・・ってこれも想像ですが。

ゲームで言えば、
ゲームに飽きて・・・という、陳腐な比喩になります。

しかし・・・・猫さんのコメントに、
妙にインスパイアされました。
どうもありがとうございます。

ブログ記事に反応があることが嬉しいですし、同じこと感じてる人がいるって嬉しいです。

sweetdream(管理人)
Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月02日 22:47
猫です・・・さんへ

再びSweetdream(管理人)です。

>”FF10 エボン=ドーム 『ユウナレスカ』戦”

実は、FFとか詳しい方ではなく、
よくわかりませんでした。(泣)

「どうすればいい?・・・とか聞くなよ」ってな感じですかね。

Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月02日 22:52
破滅を迎えるなら、それも全体の望み。
自分一人が騒いだところでどうにもならない。

これはとても無責任な考え方と思われるかもしれません。

しかし、実は、もしかしたら、
究極の信頼
・・・なのかもしれない。

「他力思想」も「神への信仰」も
行き着くところはこの辺なのかも。


これは、
「人類は破滅を望んでいる。ならば望み通りに滅べばいい」
・・・というひねくれた姿勢ではありません。


全体の望みが「調和」なのか「破滅」なのか、自分には全く解らない。
だから、善いことは出来ない。
同じく、悪いことも出来ない。

考えても無駄。

自分の行為が全体の望みに資するかどうか、自分には全く解らない。
だから、全体の役に立つことを選んですることは出来ない。
同じく、全体にとって無駄なことを選んですることも出来ない。

顧みても無駄。


考えて行為しても、
考え無しに行為しても、
結局、同じこと。

「本証妙修」という言葉があります。
仏教用語ですが、あるインドの方が同じ意味のことを言っていました。

「真理とは、そこに至る道のない土地である」


ある意味での開き直り。
自分の思考に囚われていない、純粋無垢な開き直り。
無関心とは似て非なるもの。

「結果を恐れずに」とはよく言いますが・・


結果という概念を伴わない
ただの行為


その行為の中にいる人は
おそらく
『どうやって?』
とか
「出来るかな?」
とは言わないと思うんです。



はっ!?
脱線しまくってる(・△・;
ココ何処!?
Posted by 猫です at 2013年09月02日 23:38
猫です・・・さんへ

コメント、ありがとうございます。
「あるがまま」ってことを考えていました。
・・・というか、最近はあまり考えることはしていないのですが・・。



>破滅を迎えるなら、それも全体の望み。
>自分一人が騒いだところでどうにもならない。


そうですね。
自分一人が全体の中の一人であり、地球にへばりついている蟻んこみたいだと思うと、「どうせ私なんかが騒いでもどうしようもない」ってなことになりますが。

でも、覚醒以前の人と、覚醒した後の人ではパワーの出方が違うかもって感じるんです。
だから、責任も大きいとは思います。


>これはとても無責任な考え方と思われるかもしれません。

>しかし、実は、もしかしたら、
>究極の信頼
>・・・なのかもしれない。

>「他力思想」も「神への信仰」も
>行き着くところはこの辺なのかも。


>これは、
>「人類は破滅を望んでいる。ならば望み通りに滅べばいい」
>・・・というひねくれた姿勢ではありません。

究極の信頼って「委ねる」ことであったり、一種「あきらめ」でもありますよね。
言葉だと矛盾しているように思えますが、猫ですさんのおっしゃっていることからは、絶対的な信頼感を感じます。


>全体の望みが「調和」なのか「破滅」なのか、自分には全く解らない。
>だから、善いことは出来ない。
>同じく、悪いことも出来ない。

>考えても無駄。

>自分の行為が全体の望みに資するかどうか、自分には全く解らない。
>だから、全体の役に立つことを選んですることは出来ない。
>同じく、全体にとって無駄なことを選んですることも出来ない。

>顧みても無駄。


・・・。
これって、最近、私も考えていたんですよね。
「あるがまま」ってことが、二元性の世界だと善悪にまみれてしまうって。
でも、二元性を超えた次元での「あるがまま」っていうのは、善悪が一体化していている。
だから、三次元的に捉えると、両方をすべて受け入れるってことかな・・・と。

思考が入ると、どうしても二元性になってしまうので、
思考を超える、思考をはさまない。
「ただ、そうである」ことを、そのまま受け取る・・・みたいな。



>考えて行為しても、
>考え無しに行為しても、
>結局、同じこと。


・・・。
これも、潜在意識とか無意識とかを探求していたときに、ぶちあたりました。
私の結論も上記に同じです。

ただ、結果に対して意味づけをしたとたんに「エゴ」が増大してしまう。
あるがままに流せば対消滅してしまうものの、なんだかんだ考えて、意味づけして、外に責任転嫁して、エゴを肥大化させてきたのが、「私」というエゴなのかなと。


>「本証妙修」という言葉があります。
>仏教用語ですが、あるインドの方が同じ意味のことを言っていました。

>「真理とは、そこに至る道のない土地である」


ううーん、私にはまだわかりませんね。


>ある意味での開き直り。
>自分の思考に囚われていない、純粋無垢な開き直り。
>無関心とは似て非なるもの。

>「結果を恐れずに」とはよく言いますが・・


>結果という概念を伴わない
>ただの行為


エゴがなくなると、行為しか残らないのかもしれませんね。
思考にとらわれずに、純粋無垢なる行為。
三次元思考を抜けると、「結果=原因」になるので、そのどちらも「あるがまま」に行為したり、受け入れたりすると、消えてしまうのかもしれませんね。



>その行為の中にいる人は
>おそらく
>『どうやって?』
>とか
>「出来るかな?」
>とは言わないと思うんです。


そうですね。
私はまだその感覚をよくつかめていないんだと思います。
猫ですさんのコメントで、「あるがまま」ってことを掘り下げてみたんです。

どうやってとか、
できるかな?
とか、考えているってことは、未来を考えていて、
「今」に居ないのかも・・・・って。
期待とか、結果を考えているとか、
どうしても「思考」が、エゴがしゃしゃり出てくる。

「あるがまま」も、外の世界や他人に感じているもの、出来事などに感じたことが、自分のものとして感じられないと、たぶん、いつまでたっても浮上してくるなと思いました。

sweetdream(管理人)
Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月06日 18:17
よかったーー
嫌われたかと思たよーー。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

丁寧な返信、お人柄が垣間見えます。


>どうやってとか、
できるかな?
とか、考えているってことは、未来を考えていて、
「今」に居ないのかも・・・・って。

そうなのかもしれません。
「未来」という概念は、過去の経験から生み出されるものですから。
逆説的に過ぎる言い様ですが、

「未来」を考える
という行為は、
「過去」に戻り、「過去」に囚われている

・・・ということなんだと思います。
つまり、仰る通り、

『今に居ない』
Posted by 猫です at 2013年09月06日 20:33
ミャハッ(≧▽≦)
大好物を見っけた♪

>一種「あきらめ」でもありますよね

ご存じかもですが、
「諦め」という日本語は元々仏教用語です。
意味は、
「明らかに究める」


「あるがまま」という場合、
「在るがまま」ということなんだと思います。
無我
永遠
真理
非二元
全一
悟り
・・・などと呼ばれる状態。

しかし、我々は常に
エゴ・思考・意味とともに在ります。
上記の「在るがまま」とは、我々を否定するものになってしまう。

現に在るもの(我々の実際の姿)を否定してしまうのが
「在るがまま」?
「在るがまま」とはそんなセコいものなのか?


「在るがまま」と対をなして

「有るがまま」というものがあるのではないか?

エゴ・思考・意味を抱えて、
自分と自分以外との間に境界線を造っている我々の実際の姿。

対とは言うまでもなく、二元です。


争いや憎しみ・悲しみを無くすには、
全ての分離が解消されなければならない。
境界線が有ってはならない。

・・・しかし、それは実際に可能だろうか?

つまり、人類の全てが仏陀やキリストのようになる日は来るのか?

・・・・・。


・・・・・。



面白いと思いません?
「対」の無い状態

全一の状態

真理と呼ばれるもの

「在るがまま」

これらは、
我々の実際の姿

エゴ・思考・意味

「有るがまま」
という「対」の有る状態で初めて認識される


Posted by 猫です at 2013年09月06日 21:38
(という「対」の有る状態で初めて認識される)

認識(思考)の無い状態が、です。
Posted by 猫です at 2013年09月06日 21:52
猫です・・・さんへ

レス、ありがとうございます。

>よかったーー
>嫌われたかと思たよーー。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

>丁寧な返信、お人柄が垣間見えます。


o(*^▽^*)o~♪あはっ

猫ですさん・・・・面白いっす。


※以下、思いっきり話が脱線しています。お許しを。(笑)


>>どうやってとか、
できるかな?
とか、考えているってことは、未来を考えていて、
「今」に居ないのかも・・・・って。

>そうなのかもしれません。
>「未来」という概念は、過去の経験から生み出されるものですから。
>逆説的に過ぎる言い様ですが、

>「未来」を考える
>という行為は、
>「過去」に戻り、「過去」に囚われている

>・・・ということなんだと思います。
>つまり、仰る通り、

>『今に居ない』
Posted by 猫です at 2013年09月06日 20:33


そうですね。

「今」というのは、過去と未来の中間の今ではなくて、
過去と未来がたたみ込まれている今、
永遠の今という気がします。

だから、今、過去を捨て去ることができる。
今、未来を創造することができる。
永遠に今にしか存在していない。
それ以外には存在することはできない。

直線で捉える過去と未来は幻想だということがわかります。(単なる記憶)



>ミャハッ(≧▽≦)
>大好物を見っけた♪

>>一種「あきらめ」でもありますよね

>ご存じかもですが、
>「諦め」という日本語は元々仏教用語です。
>意味は、
>「明らかに究める」


>「あるがまま」という場合、
>「在るがまま」ということなんだと思います。
>無我
>永遠
>真理
>非二元
>全一
>悟り
>・・・などと呼ばれる状態。

>しかし、我々は常に
>エゴ・思考・意味とともに在ります。
>上記の「在るがまま」とは、我々を否定するものになってしまう。

>現に在るもの(我々の実際の姿)を否定してしまうのが
>「在るがまま」?
>「在るがまま」とはそんなセコいものなのか?


我々・・・・ですね。
「私」、いわゆる肉体に閉じ込められている「私」というものは、幻想なんだと。
また、「私」が思考で創り上げてしまった現実もまた幻想であり・・・。

否定というか、もともと「無い」。(笑)
夢を見ている人が悪夢にうなされているのを見ている、目が覚めた人ととでもいうか・・・。

三次元から観ていると、二次元しか見えない。(平面)
よく映画のフィルムに例えられますが、
そのフィルムが高速で動いているのを見ているのが本体。(無我)
たぶん、この位置は四次元。

そのフィルムの一枚にはまり込んでいるのだと思っているのが(信じている)のが、「私」。
いわゆる肉体=私。肉体と一体化してしまっている。

悟りで、「観照」というものがありますが、これは「私」と「場」を見ている「本体」の位置なんだと思います。
瞑想なんかで思考から離れようとしているのは、思考と私を一体化しない作業なんだと思うんです。
私=脳=思考=意味づけ=エゴではない・・・・と。

「あるがまま」って、赤ちゃんみたいな感じだと思うんです。
意味づけできない。
見たまんま。

「これ何?」「ここはどこ?」・・・みたいな。
あなたの物とか、私の物とかが無い。
あなたと私の区別もわからない。



>「在るがまま」と対をなして

>「有るがまま」というものがあるのではないか?

>エゴ・思考・意味を抱えて、
>自分と自分以外との間に境界線を造っている我々の実際の姿。

>対とは言うまでもなく、二元です。


>争いや憎しみ・悲しみを無くすには、
>全ての分離が解消されなければならない。
>境界線が有ってはならない。

>・・・しかし、それは実際に可能だろうか?

>つまり、人類の全てが仏陀やキリストのようになる日は来るのか?

>・・・・・。


>・・・・・。

一元って、「1」ですよね。
一体。
表裏一体。
立体的、球体的な感じがします。
包括的。

二元って「2」
あれか、これか。
表と裏とか。
平面的な気がします。
分割。

たぶん・・・・ですが、0から1が生じ、2に成りたかったんだと思うんです。運動が起るし。
無限の可能性を体験してみたいという。
創造と破壊の極限。
統合と分離。
今は、その極限まで来ているのだとしたら、今度は戻る?
でも、戻るにしても、同じ1でも0でもない気がします。
密度が違う。

そして、新たに世界が生じる、宇宙が生じる。

親子みたいな感じで。
0が親だとしたら、1の子供が生まれ、2の男女に分裂し、経験を積んで再び1に戻り0に戻る。
子供が親の元へ還り、そして新たな0(親)となり、新たな宇宙を創造していく・・・みたいな。
やはり、進化の場なのか・・・。

キリスト、ブッダも同じだと思うんです。
だって、キリストは人類は皆、神のひとり子であり、あなたと私は兄弟であると言ったと思うし。
皆がキリストなんだと思うんです。

ブッダにしても、「あなたがブッダである」みたいなことを言ったと思います。

どちらも、皆は「シード(種)」だと言っていると思います。
それを認めるのは、本体の自分(高我)なんじゃないのかな・・・・と。
エゴは、幻想なので、ある段階までは必要であっても、切り離されるんじゃないのだろうか。
でも、エゴが自分だと思っていると、「私が殺されるーーー」と勘違いしてしまって、
どこまでも逃げる。(肉体の死が怖いと感じているのはエゴ)


しかし、ここまで書いてきて、何でそんなにエゴを切り落としたいのか・・・と。(笑)
私は、肉体も一緒でありたいと思う。(幻想だからこそ、好きなときに創り出せる)
実際にキリストもブッダも生身の身体を持っていたし。

話が脱線してしまいましたが・・。


>面白いと思いません?
>「対」の無い状態
>=
>全一の状態
>=
>真理と呼ばれるもの
>=
>「在るがまま」

>これらは、
>我々の実際の姿
>=
>エゴ・思考・意味
>=
>「有るがまま」
>という「対」の有る状態で初めて認識される

>認識(思考)の無い状態が、です。


闇があるからこそ光が認識できる・・・みたいな?でしょうか。
たぶん・・、エゴ、思考、意味も、全一に含まれているものだと思うんです。
ただ、エゴが暴走してしまった。
思考が唯一だと勘違いしてしまった。
そして、ものすごいパワーを持っていた・・・・ことが判明・・・みたいな。
(三次元にはまって抜け出れない程)

でも、可能性を探るには、その全一を忘れるしかなかった・・・のかも。
何か・・・・すごいことをしている気がします。
限界に挑戦!みたいな。
0のままでは、1のままでは、決して到達できない境地を体験する。
それこそ、思考とか想像の世界はあっても、体験できるのはこの三次元でしかない。

人の数だけ真理も体験もあり、無限なんだと感じます。



ううううーんん、何だか、思いっきり思考の世界って感じですね。(笑)

Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月08日 02:11
名前から「です」を取ってみましたww

常識は信じないんです。
玉置成実 "Realize"


>「今」というのは、過去と未来の中間の今ではなくて、
過去と未来がたたみ込まれている今、
永遠の今という気がします。

以前、

「永遠」とは
今の自分を知ること無しに知ることです

・・・と、偉そうなことを言っている人がいました(笑)



>たぶん・・・・ですが、0から1が生じ、2に成りたかったんだと思うんです。運動が起るし

この考察は正しいように思います。
実際、僕は2に成りたい。



>今は、その極限まで来ているのだとしたら、今度は戻る?
でも、戻るにしても、同じ1でも0でもない気がします。
密度が違う

以前、

円環は閉じているように見えて、緩やかに螺旋を描く。よりよい未来を目指して前進を続ける

・・・などと言っていた人がいます(笑)



>しかし、ここまで書いてきて、何でそんなにエゴを切り落としたいのか・・・と。(笑)
私は、肉体も一緒でありたいと思う。(幻想だからこそ、好きなときに創り出せる)
実際にキリストもブッダも生身の身体を持っていたし

ゾッとしました・・・。
あなたは目茶苦茶「速い」ですね。

これまでの「在るがまま信仰」から一歩推し進めて、

「在るがまま」 と 「有るがまま」が

それぞれ独自でありながらの調和・・・

みたいな(笑)



>何か・・・・すごいことをしている気がします。
限界に挑戦!みたいな。
0のままでは、1のままでは、決して到達できない境地を体験する

きっと、その為には
もう今までのやり方では限界なんです。

0→1→0 ではなくて、

0→1→2 へ向かう。


二元で在りながらの一元

補完

相補


結局、一人で出来ることには限界がある。
日々、自分を見つつ、そう感じます。



Posted by 猫 at 2013年09月08日 06:49
猫さんへ

軽快なレス、ありがとうございます。
※最近、軽さに敏感です。



>常識は信じないんです。
>玉置成実 "Realize"


♪(゚▽^*)ノ⌒☆
確かに。
信念が現実を創る。



>>「今」というのは、過去と未来の中間の今ではなくて、
過去と未来がたたみ込まれている今、
永遠の今という気がします。

>以前、

>「永遠」とは
>今の自分を知ること無しに知ることです

>・・・と、偉そうなことを言っている人がいました(笑)


??????????




>>たぶん・・・・ですが、0から1が生じ、2に成りたかったんだと思うんです。運動が起るし

>この考察は正しいように思います。
>実際、僕は2に成りたい。

そして2になって、分離して、二元が生じた。
人で言えば、性別が生じた。
1って両性具有ではないかと・・・・。




>以前、

>円環は閉じているように見えて、緩やかに螺旋を描く。よりよい未来を目指して前進を続ける

>・・・などと言っていた人がいます(笑)


・・・・・・・・・・。
イメージとしてはいい感じ!

私のイメージは、「クラインの壺」の球体版って感じがします。
無限増殖。



>>しかし、ここまで書いてきて、何でそんなにエゴを切り落としたいのか・・・と。(笑)
私は、肉体も一緒でありたいと思う。(幻想だからこそ、好きなときに創り出せる)
実際にキリストもブッダも生身の身体を持っていたし

>ゾッとしました・・・。
>あなたは目茶苦茶「速い」ですね。

>これまでの「在るがまま信仰」から一歩推し進めて、

>「在るがまま」 と 「有るがまま」が

>それぞれ独自でありながらの調和・・・

>みたいな(笑)


転身速っ!みたいな。
無駄なものは創らない。
リサイクル。

「有るがまま」は「在るがまま」に含まれる。
しかし、それは認識だけのことであり、逆もまたOK・・・ということで。
視点をどこに置くか、
どの座標に居るか。

砂粒に宇宙が凝縮されている・・・・というのは、よく表現されていることかと。

初音ミクのように、立体ホログラム。(ちょっと違うかも)





>>何か・・・・すごいことをしている気がします。
限界に挑戦!みたいな。
0のままでは、1のままでは、決して到達できない境地を体験する

>きっと、その為には
>もう今までのやり方では限界なんです。

>0→1→0 ではなくて、

>0→1→2 へ向かう。


>二元で在りながらの一元

>補完

>相補


こっれて、いいなあと思いました。
二元で在りながらの一元。

でも、限界ってないと感じています。
ただ、今は二元の世界を体験したいから2の世界に進んできたのであって、
やはり無限、∞、無元。

宇宙モデルも無限。
自己モデルも無限。
たぶん・・・、自己=宇宙だから。



>結局、一人で出来ることには限界がある。
>日々、自分を見つつ、そう感じます。


そうですね。
でも、一人ひとりの集合体が世界だから、ある一定人数の認識が変われば、
世界って様変わりしてしまうかも。


二元でありながらの一元・・・だとしたら、
全=個になって、認識も変わる。
※自己啓発でよく言われる、「自己評価」みたいな・・・。

でも、皆でやるから楽しい、皆で居るから嬉しいなと思う。
皆で喜ぶから嬉しい。

私=あなた、みたいな感じになって。

Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月08日 15:04
>信念が現実を創る

そう。良くも悪くも。

>ある一定人数の認識が変われば、
世界って様変わりしてしまうかも

見たいような、見たくないような。
Posted by 猫 at 2013年09月08日 22:00
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