2013年09月06日

再び、「軽さ」について

いろいろなものを抱えている時って、どーーーーんと重い感じがするものですが・・・。
悩みがあるとか、いろいろですが。

で、軽いなって感じる時って、重荷が降りたようなときかもしれませんね。
「解決!」とか。
笑ってるときとか。

でも、その解決って思ったことって一瞬だったりする。
持続しないで、また新たに重荷がのしかかってくる・・・。
この繰り返しなような気がします。

これって、二元性の特徴のような気もします。
だから、逃れられない。
しかし、そこから逃れようとして、ネガティブをむりやりポジティブにしようとして、
仮面をかぶってニコニコしてみたりする。
アファメーションしたり、イメージングしたり。

しかし、
この時点で、既に思考が入っているので、どうしても二元性の世界からは抜け出ていない。
マイナスになったものがプラスにバランスされるのは、物の道理なので、
かならずポジティブはネガティブにバランスされる。

こんな考え自体がもう「重い」感じがします。

だから、
この考え自体を・・・・、「捨てる」。
で、
考えないと・・・、
どっちでもいいじゃん・・・みたいな感じになる。
比較しなきゃいいじゃん・・・・と。
意味づけしなきゃいいじゃん・・・と。
ネガティブ?・・・・それって何?とか。
ポジティブ?・・・・それって英語?とか。
「おばか」になってみる。

何ていうか、それに関わらない。
何ていうか、それをいつまでもひきずらない。
いわゆる「手放す」

「手放す」って・・・・どうやって?

「こういうことが起きた」
「こういう風に感じた」
今までだと、手放すこととそれから逃げることを混同していたように思う。
手放すというよりも、消滅させるとかという表現がいいように思えてきました。

ポジだってネガだってどっちだって同じ・・・と。
それを受け入れる。
受け入れる方向が自分の方向であれば、たぶんそれは消滅する。
変化するとか、変容するとか、そんな感じかもしれない。
外へ手放していたら、たぶん、またやってくる。
手放していない感じだから。
「邪魔だから、どっか行って」みたいな感じになっていたから。

すべてがエネルギーだとしたら、プラスだけ受け取るってことはできない。
かならずマイナスがセットだ。
良いとこ取り・・・・みたいな、今までみたいなことはもう通用しないみたいだ。
物事の展開が速くなっている感じがするし、
どんどん透明性が増してきているから、
外に追いやったバランスされていないエネルギーは、どんどん自分の方向に向かって解決されたいとやってきている感じがする。
もう、すべてを受け入れて、バランスさせて、消滅(昇華)してもらうしかない。

もう「私」というエゴは逃げられない。

感覚だけが頼りかもしれないと思う。
思考(低次の思考)が、エゴそのものだから、
考えたりしたら、堂々巡りだ。

軽さが頼りだ。
軽さという感覚。
感覚を身に着ける。

あるがままを受け入れる。
あるがままに観る。

ごちゃごちゃ考えることに、ろくな事はないから。
※これって実体験です。
posted by zone88 at 18:45| 東京 ☁| Comment(21) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>今までだと、手放すこととそれから逃げることを混同していたように思う

この二つは明確に区別されるべきだと思います。

・「手放す」

それへの拘りを無くす

それを認識しない

それとそれ以外に分けて見ていない

(拘りとは自分の心の内の価値、つまり意味付け。これは自分自身(の心)への執着。要は自己愛)


・「逃げる」

これはそれへの拘りが強いから、わざわざ逃げるわけです。
「逃げない」と言ったところで同じことです。
それとそれ以外を分けているから、「それ」を認識している。
「手放す」との違いはここです。

(「逃げる」と「逃げない」は何も違わない、全く同一の行為です)

Posted by 猫です at 2013年09月06日 22:11
猫さんへ

コメント、ありがとうございます。
軽快なコメントで、凄いなと思います。


>>今までだと、手放すこととそれから逃げることを混同していたように思う

>この二つは明確に区別されるべきだと思います。

>・「手放す」
>=
>それへの拘りを無くす
>=
>それを認識しない
>=
>それとそれ以外に分けて見ていない

>(拘りとは自分の心の内の価値、つまり意味付け。これは自分自身(の心)への執着。要は自己愛)


>・「逃げる」

>これはそれへの拘りが強いから、わざわざ逃げるわけです。
>「逃げない」と言ったところで同じことです。
>それとそれ以外を分けているから、「それ」を認識している。
>「手放す」との違いはここです。

>(「逃げる」と「逃げない」は何も違わない、全く同一の行為です)


明確に違いますね。(笑)


・手放す

手放すってことも、スピ系で聞いたことの聞きかじりかも・・・って感じました。
手放すってよりも、消滅・昇華って方がいいかも。

手放すって、私が握りしめているもので、
それでいて、嫌だ嫌だと思って手放したいもの。
繰り返しやってくるもの。

それは、嫌だという思いと一緒に手放すと、それは手放したことにはならず、
自分と宇宙の中にまた送り出しちゃった・・・みたいな感じなので、
また戻ってくる。
「贈ったものが贈られるもの」

「戻ってきたよ。ただいま」って。(笑)

だから嫌なものをそのまま受け取る。
だって、自分が初めに送り出してしまったのが原因だから。
しっかりと受け取る。
それって、「その感情をじっくり味わう」とか、「それは私が前に送り出したから戻ってきたんだ」という認識があって、初めて「原因=結果」となり、
プラス・マイナス=ゼロみたいになって、
空になる。
それをやっていくと、自分の宇宙が空っぽになりそうですね。


拘り=執着・自己愛とありましたが、まさに、執着ですよね。
嫌だってことは、好きってことと同じで、(一元的に)だから手放せない。
偏っていることによって、運動が生まれる。(二元的)
どちらにしても、三次元にはまっている場合は、二元的にしか捉えられない。



・逃げる

私が混同していたのは、手放したいものから離れるって感覚なんですね。
だから、同じものから逃げたり、「手放します」ってアファメーションしてみたりしていた。
あとは、知らんぷりしたり、「私のことじゃない」って見ないふりしたり。
逃げると、必ず追ってくるので、また現れる。
「やあ、また来たよ。どこに隠れてたの?」って。(笑)

そんなんで、それへの態度としては、
「はい。私が送り出しました。責任をもって受け取ります」みたいになる。
でも、嫌な感情であっても、それは善悪とか、二元性の世界の判断とかで係るのではなく、
ただ単に、送り出したものを受け取るだけの行為。
「あ、そっか。私が前に送り出したから戻ってきたんだ」位の認識。
行為は気付くことくらい。

これらが、仏教で言われていることなんだなあと感じたわけです。


猫さんのコメントにあったように、一元であって、二元みたいな感覚の。


何か、文章にするとややっこしいですね。
Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月08日 14:20
『バランスされる』
『贈ったものが贈られるもの』

以前、ある人と(軽く)ケンカしたときに、
「アルティメットまどか」を引き合いに出したんですよね(^^;

『可能性とは混沌だ。不定形であるがゆえに、破滅にも転じやすい』
『それを善に導けるのが人の心だろうに!』

「窓」

他者の体験と調和していたら、『バランスされる』ことは無いのではないか?





『贈ったものが贈られたもの』
これは「贈ったもの」=「贈られたもの」
だから、二元じゃなくて一元だよ、
と見えるが、

「贈ったもの」と「贈られたもの」とに分けて認識しているのだから、やっぱり二元です。

やっぱり。
体験が他者と調和していたら、
『バランスされる』ことは無い。



ミャーーー(≧▽≦)
カンナちゃん、最高!!
Posted by 猫 at 2013年09月08日 23:03
系譜というものがあるように思います。


(・△・)ジーーッ(視線を送る音)
Posted by 猫 at 2013年09月08日 23:20
(やめときゃいいのに)
(自分の特性・性質が恨めしいよ)


小童がぬかしよる


憎しみと怒りの内に死んでゆく人
全てに絶望して、悲しみの内に死ぬ人

・・・そうした人は、いつの時代にも必ずいます。

あなたは言いますか?
「あなたの存在は、他に替わりのきかない尊いものだ」
「あなたはこの世界に一人しかいない!」

・・・と。
その言葉によって、
その人が更なる怒り・憎しみ・悲しみに呑まれるとしても。

僕には言えません。
そんなのウソだと知っているからです。

僕が言うとしたら、こうです。

「あなたは今、怒り・憎しみ・悲しみに引き裂かれて、全ての人間を怨みながら死ぬだろう。

だからこそ

あなたの命・人生・死は無駄ではない。
必ず全体に貢献する。

だから、安心して、
怒り・憎しみ・悲しみの内に死ね」


僕であれば、これが一番嬉しい。
仏に会ったように感謝するだろう。



小童よ、
狂っているとか、
狂っていないとかの問題じゃ無いんだよ。

人とはそういうものなんだよ。

当然の事実。
当然の事実に、一々騒ぐな。

Posted by 猫 at 2013年09月09日 21:52
他人様のブログを私物化してごめんなさい。

直前のコメはsweetdreamさんへのものでは
ありません。

すみません。
Posted by 猫 at 2013年09月09日 21:54
みゃー、みゃんみゃ
みにゃにゃにゃぅ(;△;)/

北白川たまこ
”ドラマチックマーケットライド”


・・・にゃー(´・ω・`)
Posted by 猫 at 2013年09月10日 13:25
大変失礼しました。

僕、どうも人様のブログを
「自分の家」と勘違いする癖があって・・。


頭のおかしい人とお思いでしょう。
その通りです。

ただ、
世界には70億の人がいますが、
sweetdreamさんからしか頂けないものを
贈っていただきました。

感謝するとともに、
必ず次に繋げるとお約束します。


こちらには(多分・・)
もう来ないと思います。

(^^)/~~
Posted by 猫 at 2013年09月12日 06:29
猫さんへ

コメントありがとうございます。

返信が遅れてすみません。

あまり、時間を気にしていないもので・・・。


で・・・、
「贈ったものが贈られるもの」
「バランス」
「自己と他者」
などについてですが、
語ったらきりがないのですが、
ここいらへんは、空間認識ということで、半田広宣さん&オコツト情報を用いると意外とすっきりするかもしれません。

自己側での二元VS他者側の二元

自己で一元に還元VS他者で一元に還元

自己(1)と他者(1)で2

これの2を1に還元

すべてを包括している視ている者は、
0の位置。

自己と他者の空間はメビウスの帯のようにねじれているので、自己の外は他者の内、自己のマクロは他者のミクロとなり、双方だと、マクロ=ミクロになる・・・。

こんな感じで。


>憎しみと怒りの内に死んでゆく人
>全てに絶望して、悲しみの内に死ぬ人

これらも、上記(オコツト)の観点からすると、
「憎い」とか「絶望」も、主観でのことなので、
客観で観ると、また違った感じ方ができます。

そして、これを0の視点で観ると、
判断できない・・・となると。
肉体が朽ちた(死んだ)という事実はあるかもしれませんが。



>北白川たまこ

これに関しては・・・、
初耳でした。(笑)
すみません。


猫さんが「猫」だとするなら、
人の家の庭でくつろいでも、誰も何も言わないでしょう。(笑)


猫さんからの一連のコメントで、
「どうすればいいか」と思ったことが、馬鹿らしいと気付きました。
空間認識を変えると、
「どうすればいいか」という問題提起は、解決とセットであることが見えてきましたから。

猫さんからのコメントがなければ、
それに気付かずに、そのまま通り過ぎていましたから。
感謝です。


たまに、このブログ(家の庭のよう)にも遊びに来てください。
出入り自由ですよ。(笑)

sweetdream(管理人)



Posted by sweetdream(管理人) at 2013年09月13日 00:52
ミニャ(`・ω・´)
Posted by 猫 at 2013年09月13日 06:51
戦場ヶ原ひたぎ "Staple Stable"
Posted by 猫 at 2014年09月20日 21:01
自分の苦しみを消すには、いくつか方法があります。

@「苦しい状況」を変える
A「苦しみの発生源」を消す
B 理解する

Posted by 猫 at 2014年09月23日 23:39
例えば、他人を原因として苦しみが生まれるなら、

@は、その人との関係性を変えること。
話してみて良好な関係を模索するとか。
あるいは、互いに不干渉を約束するとか。

「現実逃避」というのも、この一種です。
ただ、「私側」での一方的な「現実の欺瞞」ではありますが。

つまり、「原因によって既に造られた結果」を変化させようとすること。


Aは、自分、または相手を殺すこと。
自分の苦しみは自分の脳(=思考)が生み出すものなので、
その自体(自分の生命活動)を消す。
自分が死ねば、自分の苦しみは止む。

または、相手を殺す。
その相手によって自分の苦しみがもたらされるなら、自分の思考が認識してしまっているその相手の存在を消せば、自分の苦しみも消える。

つまり、「結果を生み出す原因」を消そうとすること。


Bは、@にもAにも依らず、ただ知ることにより、
正しく見ることを得、苦しみの生まれる仕組み自体を手放すこと。

人というものは、どういうものなのか。
自分という人間は、どういうものなのか。
「執着を手放す」というのは、これですね。
何も変えない。何も否定しない。
ただ理解するだけ。

つまり、「ただ、見る」こと。
Posted by 猫 at 2014年09月23日 23:52
「現実」から逃げることしか出来ない人
何でもかんでも自分に都合良く解釈してしまう人
厚顔無恥の極み
ご都合主義の権化
「相手を苦しめる」か「尻尾を振る」かの二択しかない人
バレているのを承知の上でも、現実逃避を止められない人

つまり、

”快楽のみを求め続け、重さを完全に失くした人の末路”

を、もしかしたらトドにゃんも今、見ているのではないでしょうか?


可哀想ですよね。
理解不能ですよね。

アレも、人の可能性の一つであることは否定しません。
「生存」の役に立たないものを退化させた形。
一つの進化の方向性。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 00:02
でもね、私はどうしても思ってしまうんですよ。

”憐れだな”と。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 00:03
私の言うことって、
実は「大なり小なり、全ての人に当てはまること」なんです。

だから、自分について言っているとも言えるし、
あなたのことを言っているとも言える。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 00:14
今ならまだ間に合うから 撤回した方がいいよ

トドにゃん「は」大丈夫ですよ。
トドにゃんは『予測』の方です。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 00:16
絶望の底の底まで降りて行ける人というのは、
思う程には多くない。

一切の救い無く絶望出来ることは、才能です。



後悔の果ての果てまで進んで行ける人というのは、
思う程には多くない。

一片の逃避無く後悔出来ることは、才能です。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 07:47
人が対応出来ることは、
「自分が経験したこと」だけ。

それを越えた深さ(重さ)には、
適切な対応なんて出来るわけがない。

自分の経験を越える深さ(重さ)を見たとき、
人の思考(脳)はそれを
「自分の想像可能な深度の範囲内に、勝手に再構成してしまう」。

つまり、実際の深さ(重さ)を度外視して、
自分の理解の範囲内に無理やり納めてしまう。


雲を見ていて、
「あっ!あの雲、イルカに見える!」
と言うのと同じことです。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 07:53
『ジタバタしないこと』



「自分では何もしないこと」



同義じゃない。
Posted by 猫 at 2014年09月24日 07:59
その力、大切に。
Posted by 猫 at 2014年09月25日 21:40
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