2013年09月20日

理解したいとか、○○・・したいと言うと。

○○したい・・・。
これは、○○という状態にないことを自分が認めているか、そうであると知っている状態・・・って感じ?

だから、いつまでも○○に到達することはない。

理解したい。
これも前提に「理解していない」ことがあるから、理解したい・・・となるわけで。
屁理屈?

まあ、大体言葉ですべてが説明できると思っていること自体が、おかしい・・・かもしれません。。
矛盾しているんだと思います。
ただ、そうであるとか、
すでに知っているとか、
当然とか、
確信しているとか、
それしかないんじゃないかなと思います。

何で?と聞かれたら、
「え?だってそうなんだもん」って感じで。

いろんなことを人から聞いても、理解できることと、そうでないこと、
また、理解の幅も人それぞれであり、感じ方はみんな違う。
誰一人として同じってことはない。

だから、人それぞれの真実があるって感じがしっくりきます。

そして、自分が「既にそうである」ことしか現実にならない。
「すでに知っている」ことしか知らない。

だからそうなればいいということなんですが、
じゃあどうやったら・・・・ってことも、ない。
ただ、そうだとあっさりと認めてしまう。
それは、知っていることと知らないことは同じみたいな感覚。
どっちも同じじゃん・・・と。
「受け入れる」
だって、自分なんだから。
外側だと思っていたものを受け入れる。
だから反対側も受け入れる・・・となる。

知る必要のあることはその時に知るし、知る必要のないことは知らない。
それは、自分の中にあるものに共鳴しているから・・・とも言え、
自分が単なる鏡でしかない、
他人は私を映し出している鏡でしかないって感じとも言えるかなと。
「自分の中にあるものしか鏡は映し出さない」
=共鳴しない。


自分の中には何があるのか?
たぶん、常識にとらわれていたら、常識にとらわれている人に出会うのだろうし・・・。
では、その時は?
鏡の裏もあることを知ること。
それは、
「常識から抜け出ていない」自分と、
「常識から抜け出ている」自分があるのだと観えたら、その時点でニュートラルになるような気がします。
どっちも間違っていないし、正しくもないし、またおかしいわけじゃない。
理屈が成り立たない。
だって、どっちも同じなんだから。
同じというよりも、
どっちももっている。
裏表は一緒。
裏だけ観ていれば表は観えないから。

表裏一体で存在できる。

そんなことが観えてくると、
いちいち相手に対して感じていたことが、たんなる自分の内側を観ていただけだと気付く。
そうすると、反対側にも何かがあると観えてくるから、
それで終わり。
何にも問題はない・・・と。

内側で解決されたから、もうどちらかに傾くことはない。
いうなれば、空にそのエネルギーは戻ってしまった。
対消滅してしまって、ニュートラルなエネルギーに戻った・・・と。

そのニュートラルなエネルギーの中で、新たに自分が好きなエネルギー(調和した塊)を創り出す。
そして、バランスをとる。
調和って美しいものだなと感じるのは、
ただの中庸ではないからなんだと思います。
中道とか中庸とかではなくて、
両面を持っている。
その美しさ。

ドストエフスキーの言葉だったと思うけれど、
「真の人間は善も悪も持っている」みたいな話があったと思うのですが、
そこを超えたところに「美しさ」を見出していたと思うんですね。

まあ・・・・、脱線しましたが、
「既にそうである」状態、
「既に知っている」状態では、
問=答なんだと思います。

何が起こってもOKだと。
それには、すべてを観ることが必要なんだと思います。
光には闇を。
幸せには不幸を。
善には悪を。
ただ観る。
一緒にあわさってひとつなんだって。

そうなると、自分って動いていない感じがしてきます。
そして、肉体に埋没していない。
自己に傾いていない。
相手と自己で一体。

それを観ている肉体を超えた存在が「本来の私」かも・・・と感じています。
それはどの位置にいるのか・・・。
それは空間?かもしれない。
空間って、相手と自分の間にある。
物と自分の間にある。
相対の中にある。
でもそれを超えて、ニュートラルになると相似になる。
一体とも言えるかも。


たぶん・・・・・理屈としては脱線しています。

女性的・・・かもしれません。
「だって、そうなんだもん」って。
「だって、そう感じるんだもん」って。

分割して観ていない。
塊で観ている。
分離ではなくて、すべてを繋げて観ている。

そんな感じで、「既に知っている」のであれば、周りもだんだんそういう状態として現れてくる気がします。
ただ、自分がそうだと認める、そうだと気付く。
そうだと・・・・、観えてくる・・・って感じが近い感覚かも。

私って球体って感じで。
すべてを包んでいる球体。
外と内が逆転して、外=内になる。

なんだ・・・・、観えて(感じる)いたものは、すべて自分の内側だったんだと気付く。
そして感じていたことは表面だけだったから、その裏側も観る。
立体として観る。
そうすると、二元性は崩壊する。
だって塊で、一体化しているから。
違いって、ただ違うだけで比較できない。

自然にいろんな色があって美しいように、それぞれが調和している。
美しい。
美しいってやはりすごいことだなって思いました。

「美しいと感じるあなたの心が美しい」という誰かの言葉がありましたが、
そうだなと思います。
posted by zone88 at 00:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 潜在意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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